西郷隆盛の名言50選!「我が身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」や「梅の花は寒い冬を耐え忍ぶ事で春に一番麗しく咲く」など(Page 4)

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西郷隆盛の名言集(4)

名言31

国が辱めを受けるようなことがあったら、たとえ国が倒れようとも、正道を踏んで道義を尽くすのが政府本来の仕事である。
戦の一字を恐れ、政府本来の使命を果たさないのなら、商法支配所といった商いの元締めというようなもので、もはや政府ではなくなってしまうだろう。

名言32

人が踏み行うべき道を実践するのに、身分が尊いか卑しかなどといったことはまったく関係がないことだ。
昔、尭・舜(中国古代の伝説上の帝王)は国王として政治の一切を行っていたが、二人の本質というのは、正しい道を人々に教える教師である。
孔子は魯の国をはじめどこの国にも用いられず、何度も困難な苦しい目に遭い、身分の低いままに生涯を終えたが、三千人の子弟は、みな教えられた道を実践したのである。

名言33

自分に克つには、あらゆる事柄を前にして、はじめて自分に克とうとしても、そうやすやすとはできないものだ。
ふだんからその心がけを持って、自分に克てるようにしておかなければならない。

名言34

聖人や賢人になろうとする志がなく、昔の人が行った史実をみて、とてもこのようなことは自分にはできないというような心であったら、戦いを前に逃げるよりも、はるかに卑怯なことだ。
朱子(南宋の儒学者)も抜き身の刀を見て逃げる者はどうしようもないといわれた。
真心をもって聖人・賢人の書を読み、その行いの根底にある精神を、自分の心身で体験するような修業をしないで、ただ成人・賢人の言葉や行いを知ったところで何の役にも立たない。
私は今、人のいうことを聞くに、いかにもっともらしく論じても、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけのことであるならば、少しも感心しない。
実際に行動する人を見ると、実に立派だと感じるのである。
聖人・賢人の書をむなしく知識として読むのであったら、たとえば人の剣術を傍観しているのと同じで、少しも身につかない。
身につかなければ、万一立ち合えと言われたら、逃げるよりほかないであろう。

名言35

文明というのは、道理にかなったことが広く行われることを褒め称えていう言葉であって、宮殿が荘厳であるとか、衣服がきらびやかだとかといった、外観の華やかさをいうものではない。
もし西洋が本当に文明の国ならば、未開の国に対しては、慈愛の心をもって接し、懇々と説きさとし、文明開化に導くはずであろう。
ところが、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮である。

名言36

政治で特に大切なことは、教育文化を盛んにし、軍備を充実させ、農業を奨励するという三つである。
その他のさまざまな事柄は、すべてこの三つのものを実現するための手段である。
この三つのなかで、時勢によって優先順位が変わることもあろうが、この三つのものを後回しにして、それ以外のことを先にするということは、決してあってはならないことだ。

名言37

人が踏み行うべき道を実践する者には、困難な苦しいことはつきものであるから、どんな難しい場面に立っても、そのことがうまくいくかどうか、その身が生きるか死ぬかといったことなどどうでもいいことなのだ。
物事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人、あまりできない人もある。
そのことに動揺する人もあろうが、天の道を実践するという点では上手下手もなく、できないという人もないものなのだ。
だから、ひたすら道を行い、道を楽しみ、もし困難に遭い、それを乗り切ろうと思うならば、ますますその道を実践し楽しむという心を持つがいい。
私は若い時から、困難という困難に遭って来たので、今はどのようなことに出会っても動揺することはない。
それだけは幸せである。

名言38

この世の中で後の世でも信じ仰がれ、喜んで従おうとするものは、ただ一つ誠の心だけである。
昔から父の仇を討った人はたくさんいるが、その中でひとり曾我兄弟だけが、今になっても子どもや女性にいたるまで、知らないものがいないのは、多くの人にぬきんでて誠の心が厚いからである。
誠の心がないのに世間の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。
誠の心が厚ければ、たとえその当時に知る人がなくても、後の世に必ず理解してくれる人があらわれるものだ。

名言39

国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、普段の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、つつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。
しかし今、維新創業の大事なときだというのに、家を贅沢にし、衣服をきらびやかにし、美しい妾を囲い、金を蓄えることを考えているならば、維新の理想を達成することはできないであろう。
今となっては、戊辰の正義の戦いも、ただ私利私欲を満たすための戦いとなり、世の中の人々に対し、また戦死者に対して面目ないことであると言って、西郷先生は涙を流された。

名言40

世間の人がいう機会とは、たいてい思いがけずに得た幸運のことを指している。
しかし、真の機会というのは道理に適い、時の勢いを正しく把握して行動する場合のことだ。
かねて天下国家を憂える真心が厚くないのに、ただ時の弾みに乗って成功した事業は、決して長続きはしないものだ。

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