カントの名言49選!彼の思想や哲学、純理性批判の解説や独身のエピソードなどを紹介

カント 名言ブログのキャッチコピー カント

イマヌエル・カント、その名は西洋哲学の世界で非常に有名です。彼の言葉は、人間の存在と理解を深く探求し、我々の視野を広げるための鍵となります。このブログでは、カントの名言を通じて、彼の思考と視点を探求します。彼の言葉は時に挑戦的であり、私たちが自己と他者、そして世界を理解する方法に影響を与えます。彼の名言には、「我が行いを見習えと、誰にでも言い得るよう行為せよ。」、「科学とは体系化された知識で、知恵とは整理された生活である。」などがあります。

カントってどんな人?

項目内容
名前イマヌエル・カント
生年月日1724年4月22日
出生地プロイセン
死亡日1804年2月12日
死亡地プロイセン
死因老年性認知症
職業哲学者
主な業績啓蒙主義の中心的な思想家、認識論(知識の理論)、形而上学、倫理学、美学における包括的かつ体系的な著作
影響力その後の哲学、特にカント主義と理想主義の各学派に大きな影響を与えました

イマヌエル・カントは、1724年4月22日にプロイセン(現在のロシア、カリーニングラード)で生まれ、1804年2月12日に同地で亡くなりました。彼はドイツの哲学者であり、啓蒙主義の中心的な思想家でした。カントは若い頃は家庭教師で生計を立てるなど苦労したようで、すぐに大学にポストを見つけられずに、ケーニヒスベルク大学の教授になったのは46歳のときでした。その1年後に『純粋理性批判』につながる着想を思い付きましたが、形としてまとまったのは57歳の時でした。構想を思い付いてから完成まで10年もの歳月を費やしたのである。彼の包括的かつ体系的な著作は、認識論(知識の理論)、形而上学、倫理学、美学において、その後の哲学、特にカント主義と理想主義の各学派に大きな影響を与えました。ルネ・デカルトの理性主義(理性を強調する)とフランシス・ベーコンの経験主義(経験を強調する)が始まった新たな時代でした。彼はその中で新たな傾向を取り入れました。

教授になるまでの苦悩

イマヌエル・カントが教授職に就くまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。カントが大学に入学したのは1740年の16歳の時で、その後は自然学に関心を持ち、哲学教授クヌッツェンのもとでライプニッツやニュートンの自然学を研究しました。しかし、1746年に父が亡くなったことで学資が続かなくなり、大学を去ることを余儀なくされました。その後7年間はケーニヒスベルク郊外の2、3の場所で家庭教師をして生計を立てていました。1755年に『天界の一般的自然史と理論』を刊行しましたが、印刷中に出版社が倒産したため、極少数のみが公刊されました。同年、ケーニヒスベルク大学哲学部に哲学修士の学位取得のため、ラテン語論文『火について』を提出し、修士学位を取得しました。しかし、教授職に就くためにはさらなる試練が待っていました。1756年、恩師クヌッツェンの逝去により欠員が出た論理学・形而上学教授職の地位を得るため、『自然モナド論』を執筆しました。しかし、プロイセン政府がオーストリアとの七年戦争を開始し、財政的理由のため欠員補充をしない方針を打ち出したため、教授就任の話は白紙となりました。その後、カントはケーニヒスベルク大学の私講師として職業的哲学者の生活に入りました。そして、彼がケーニヒスベルク大学の教授になったのは46歳のときでした。その1年後に『純粋理性批判』につながる着想を思い付きましたが、形としてまとまったのは57歳の時でした。構想を思い付いてから完成まで10年もの歳月を費やしたのである。つまり、長生きをしなければ名著は世に問われることがなかったのです。

生涯独身のカント

カントは生涯独身を貫いた哲学者で、その生活は規則正しさと厳格さにこだわりが見られました。彼は毎朝決まって早朝5時に起床し、午前中は仕事に勤しんでいました。帰宅後、決められた時間になると散歩に出かけ、その時間には非常に正確で、人々はカントの姿を見て時計の針を直したと言われています。また、カントは1日に1度しか食事をしないという習慣があり、夕方から人々を集めた会食という形をとっていました。彼は「1人で食事をすることは、哲学する学者にとっては不健康である」と述べており、食事中は哲学や学問の話は厳禁で、世間話に終始していました食事はカントにとって頭を休める大切な時間だったのです。カントは生涯独身だった理由を特に説明しておらず、独身主義を唱えていたわけでもありませんでした。そもそも彼の苦学生活は、とうてい結婚を考える余裕があるものではなく、また自然学から倫理学、哲学、地理学と幅広い分野に関心を抱いていたので、女性に積極的な態度をとることもなかったといわれています。

カントの思想・哲学について

その思想を体系化し世間に公開するまでに非常に多くの苦労があったカント。彼の思想やその著書の内容をまとめました。

カントの哲学

カントの思想は「批判哲学」と呼ばれ、認識論における「コペルニクス的転回」をもたらしました。カントの哲学は、人間の認識とは、五感から入ってきた情報を時間と空間という形式によってまとめあげる能力としての「感性」、概念に従って整理する能力としての「悟性(知性)」に基づき、考える能力としての「理性」によって統一像にもたらされたものだと導き出しました。カントは、人間理性に認識しやすい形で現れてくる「現象界」に限り、理性的認識が可能であると主張しました。逆に「現象界」とは関係のない、人間が介在し得ない物だけで成立する「物自体界」については、経験的認識しかできないとしました。彼の思想は「純粋理性批判」を理解すれば十分でしょう。純粋理性批判で試みたことは、人間理性の自己批判によって、人間理性が有効な範囲と、人間理性が及ばない範囲を明らかにすることでした。カントの哲学は、人間理性が認識が可能なのは、たまたま人間が理解しやすい形で現れてくる「現象界」のみであるということを主張しました。この考えは「コペルニクス的転回」とも呼ばれています。今までは「我々の認識は対象に依存している」と考えていましたが、カントはそれを180度転換して、「対象が我々の認識に依存している」と考えました。

純粋理性批判

イマヌエル・カントの「純粋理性批判」は、18世紀の哲学の中で非常に重要な作品です。この作品では、カントは人間の理性がどのように働くのか、そしてその限界は何かを探求しています。カントは「世界そのもの」と「人間が見ている世界」は別物だと主張しました。つまり、「世界そのもの」というモヤモヤしたものが「人間」というフィルターを通すことで「人間が見ている世界」になるということです。さらに、カントは人間が物事を理解するためには「感覚」、「考える力」、「まとめる力」の3つの力を用いていると考えました。感覚は何かを理解するためにはまず、その「何か」を見て感じなければいけないということです。考える力は人間の5感が読み取ってきた情報を分析して意味あるものにするのがその役割です。そして、まとめる力は考える力が集めた情報をまとめて一つの考え方を作るのがその役割です。

永遠平和のために

カントの「永遠平和のために」は、1795年に発表された政治哲学の著作で、この中でカントは永遠の平和をどのように達成するかについての理論を展開しています。彼は国家間の永遠の平和を達成するために、各国家の政治体制は共和制でなければならず、国際法は自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきであり、世界市民法は普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならないという三つの基本原則を提唱しました。さらに、カントは「予備条項」と「確定条項」を設けて、これらの原則を具体化しました。予備条項では、戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約、買収、贈与などによる国家の取得、常備軍の維持増強、政策戦争のための国債発行、諸外国に対する軍事的な内政干渉、外国に対する相互信頼を不可能とする行為など、平和をもたらすための準備的な段階を示しています。確定条項では、具体的な平和の条件が示されています。カントのこの理論は、現代の国際関係における平和の概念に大きな影響を与えています。特に、国家間の紛争を解決するための国際連合の設立や、国家の主権と人権のバランスなど、現代の国際法の基礎となっています。また、カントの平和理論は、戦争のない世界を目指すための理想的なビジョンを提供しています。

共和制について提唱していたマキャベリのエピソードと名言をこちらにまとめてますので、よかったらご覧ください。

カントの名言集(1)

名言1

我が行いを見習えと、誰にでも言い得るよう行為せよ。

名言2

科学とは体系化された知識で、知恵とは整理された生活である。

名言3

あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。
人間は決して目的のための手段にされてはならない。

名言4

善行はこれを他人に施すものではない。
これをもって自分自身の義務を済ますのである。

名言5

理論のない経験は盲目である。
しかし、経験のない理論は単なる知的ゲームに過ぎないのだ。

名言6

よく見なさい。
美とは取るに足りないものかもしれない。

名言7

存在するとは、行動することである。

名言8

暗黒のなかでは、我々の想像力は明るい光におけるよりもたくましく働くのを常とする。

名言9

教育は人間に課すことのできる最も大きい、難しい問題である。

名言10

未熟さとは、他人の指導なしでは自分の知性を使うことができないということである。

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