野村克也の名言34選!「価値に不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」など

野村克也の名言ブログのアイキャッチ画像 偉人名言集
野村克也の肖像画

野村克也さんは、日本のプロ野球界を代表するレジェンドであり、その名言は彼の人生観や哲学を如実に表しています。彼の名言には、「人間の才能なんて、どこに隠されているか分からない。相手の話を聴いてみる。それが第一歩。そこから組織の活性化が始まる。」、「「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする。」、「価値に不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしなどがあります。

野村克也ってどんな人?

項目内容
生年月日1935年6月29日
出身地京都府
初期のクラブ南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズ
プロ野球キャリア1954年から1980年の27年間にわたりプレイ。史上2人目・パ・リーグ初の三冠王達成など数々の記録を持つ。
監督キャリア1990年から1998年までヤクルトスワローズ、1999年から2001年まで阪神タイガース、2003年から2005年まで社会人野球のシダックス、2006年から2009年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務める。
名誉市民京丹後市名誉市民
愛称ノム、ムース
死因虚血性心不全
野村克也の略歴

野村克也さんは、1935年6月29日に京都府で生まれました。彼の人生は、多くの挑戦と成功で彩られています。彼は1954年から1980年の27年間にわたり、南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーしました。選手としては史上2人目・パ・リーグ初の三冠王達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)、選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算塁打数歴代2位、通算打席数1位(11970打席)、通算打数1位(10472打数)、通算犠飛数歴代1位(113犠飛)、通算併殺打1位(378併殺打)、最多記録となるベストナインを19回受賞、パリーグ最多記録となる本塁打王を9回獲得、打点王を7回獲得、パリーグ最多記録となる最優秀選手を5回受賞などの記録を持ちます。選手引退後は1990年から1998年までヤクルトスワローズ、1999年から2001年まで阪神タイガース、2003年から2005年まで社会人野球のシダックス、2006年から2009年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めました。監督としては1565勝1563敗を記録しました。また、出身地の京丹後市名誉市民となっています。愛称は「ノムさん」、「ムース」です。血液型はB型です。

自殺まで考えた新人時代

野村克也さんがプロ1年目のシーズンが終わり、契約更改の時期になったとき、南海ホークスの全選手の中で一番最初に呼ばれました。球団の部屋で課長と2人きりになって、こんな会話のやりとりをしました。「どうだ、プロ野球は?」「大変な世界ですね」「そうだろう。でも安心しろ。来年から楽ができるから」「どういうことですか?」「クビだよ。プロの目から見れば選手の素質はちゃんとわかる。間違いなくお前は無理だ。まだ19歳なんだし、いくらでもやり直しが利くから、野球は諦めて他の世界へ行け」。しかし、野村さんはどうしても納得できませんでした。1年目はほとんどブルペンキャッチャーを務めていただけで、実質プロ野球選手として何もしてないからです。貧乏から脱出するためにプロ野球選手を目指して、中学時代からずっと野球をやってきましたし、野村克也から野球を引いたら何も残らない。じゃあ野球をやめて、いったいどうすればいいのか。たった1年で田舎に帰ったら、送り出してくれた家族や恩師、町の人たちに会わせる顔がない。そこで覚悟を決めたんです。「わかりました。もう生きていてもしょうがないので、帰りに南海電鉄の電車に飛び込んで死にます。お先に失礼します」と言いました。それを聞いた課長が、「おい、冗談でもそんなことを口にするんじゃない。ちょっと待ってろ」と出て行きました。その10分後、課長がドアを開けるなり言ったのが、「よーし、わかった。もう1年面倒を見てやる」でした。それによって、首の皮一枚がつながったわけです。野村さんがプロ3年目でレギュラーになったとき、そのことについて課長に聞いたんです。「わからないものだなあ。お前がこんな選手になるなんて。俺も見逃したよ」って。同情して残してくれたのは本当にありがたかったものの、「ざまあみやがれ」とも思っていました。過去にその立場立場で決断を強いられることはありましたが、そんなときこそ覚悟が必要です。世の中には胸を打たれる言葉が多いですが、誰が言ったのか、まさに「覚悟に勝る決断なし」ということですよ。

「王や長嶋はヒマワリ、私は月見草」

野村克也

野村克也氏は、自身を「王や長嶋はヒマワリ、私は月見草」と表現しました。これは、彼が現役時代に自身の現状を表現した言葉で、彼の故郷・京都の田舎町によく咲いていた月見草を見て、「きれいだけど、地味。夜に咲いても誰も見ていないのに……」と思っていたことから来ています。また、彼は「王や長嶋がひまわりなら、私はひっそりと日本海に咲く月見草」とも述べています。これは、人気球団のスターに対する強烈なライバル意識を示すもので、大きく報道してもらおうと1カ月前から用意したコメントでした。彼はまた、「3割、40本塁打」という目標を掲げ、それを達成した後、次なる「内なる目標」を掲げ、「王貞治に勝つ!」という目標を立てました。これらの目標はあくまでも個人的なもので、公にはしないまでも自分の中でいろいろな目標を持っておくことは大切なことだと述べています。

ノムさんのささやき戦術とは?

野村克也氏の伝説的な「ささやき戦術」は、彼がプロ野球のキャッチャーとして活躍していた時代に生み出された独特な心理戦です。野村氏は、バッターボックスに立つ相手打者への心理的な揺さぶりとして、さまざまな個人的な話題をささやくことで知られていました。この戦術の目的は、相手の集中力を乱し、パフォーマンスに影響を与えることにありました。具体的なエピソードとしては、白仁天選手が耳栓を使用したにも関わらず、意識してしまい成績が落ちた逸話や、大杉勝男選手が「うるさい!」と動揺する様子が挙げられます。しかし、王貞治選手・長嶋茂雄選手はささやきに完全に動じなかったと言われています。やはり王と長嶋は別格の集中力を誇っていました。特に「ミスター」こと長嶋茂雄選手は、ささやきに対して会話を始めることで、その効果を無効にしたと言われています。さらに印象的なのは、バッティングフォームについてのささやきに対し、長嶋選手が実際にタイムを取って確認し、その後ホームランを打ったエピソードです

現役時代・監督時代の成績

成績順位数値
選手出場試合数歴代2位2017
監督出場試合数歴代3位973
通算本塁打数歴代2位657
通算安打数歴代2位2,901
通算打点数歴代2位1,988
通算打席数1位11970打席
通算打数1位10472打数
通算犠飛数歴代1位113犠飛
通算併殺打1位378併殺打
ベストナイン受賞最多記録19回
本塁打王パリーグ最多記録9回
打点王7回
最優秀選手パリーグ最多記録5回

野村克也の名言集(1)

名言1

人間の才能なんて、どこに隠されているか分からない。
相手の話を聴いてみる。
それが第一歩。
そこから組織の活性化が始まる。

名言2

「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。
情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする。

名言3

失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。
それは次につながるから。

名言4

部下を「信じる」というのは、リーダーの重要な資質。

名言5

重荷があるからこそ、人は努力するのである。
重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。

名言6

組織はリーダーの力量以上には伸びない。

名言7

人を判断するときは決して結論を急がないこと。

名言8

大きな舞台になればなるほど、勝負は技術だけにとどまらない。
人間そのものの対決になる。

名言9

勝っているときが一番怖い。
リードしているときが一番怖い。

名言10

コンピューターがどんなに発達しようとしても、仕事の中心は人間だ。
ならばそこには「縁」と「情」が生じる。
それに気づき、大事にした者がレースの最終覇者となるのだと思う。

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