西郷隆盛 心を動かす名言集 – Page 1

幕末の激動の時代、一人の男が風雲急を告げる日本の歴史に名を刻みました。その名は西郷隆盛。彼の生涯は、幕末から明治初期にかけての日本を駆け抜けた、まさに一世を風靡した男でした。

彼の言葉は今もなお、私たちの心に深く響きます。「我が身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。この言葉は、彼が持っていた強い意志と決断力を表しています。

このブログでは、そんな西郷隆盛の名言を集めてみました。彼の言葉から学ぶことは多く、それらは私たちが直面する困難を乗り越える力となります。それでは、一緒に西郷隆盛の世界を探求してみましょう!

西郷隆盛の人生

項目内容
生年月日1828年1月23日
死亡日1877年9月24日
職業政治家、軍人
活動期間幕末から明治初期
主な功績明治維新の一翼を担い、新政府の成立に貢献。西南戦争の指導者として知られる

西郷隆盛は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人で、薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男でした。彼は、約260年続いた徳川幕府を倒し、明治政府の成立に貢献した人物の一人です。大久保利通(おおくぼとしみち)・木戸孝充(きどたかよし)とともに「維新の三傑」と呼ばれています。彼は自分が正しいと思えば、相手が誰でも、ずけずけと意見を述べるタイプだったようです。頑固で場の雰囲気も気にしないため、周りから煙たがられ、18歳から勤めた藩の役所では、10年間も昇進できなかったといいます。西郷には、かたくなに写真撮影を拒んだというエピソードも残っています。西郷は大変甘いものが好きだったうえに、倒幕運動が一段落した後は、運動不足がたたり、肥満と診断されていたそうです。医師に適度な運動を勧められた西郷は、大好きな犬を連れて山へ行き、ウサギ狩りを楽しみます。上野公園の西郷像が連れている犬は、ウサギ狩りのお供をした「ツン」という名の薩摩犬といわれています。西郷隆盛は鹿児島県で生まれ、49歳のときに同じく鹿児島県で亡くなりました。新しい日本をつくり、歴史に名を残した西郷の生涯を振り返ってみましょう。

西郷隆盛の名言集(1)

名言1

何度も何度もつらく苦しい経験をしてこそ、人の志は初めて堅くなるのだ。
真の男は玉となって砕けることを本懐とし、志を曲げて瓦となって生き長らえることを恥とせよ。
我が家の遺訓。
それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産を残さないということだ。

名言2

過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すれば、それでよい。
そのことをさっぱり思いすてて、ただちに一歩を踏み出すことが大事である。
過ちを犯したことを悔やんで、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶碗を割って、そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、何の役にも立たぬことである。

名言3

人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、学問の道は敬天愛人(天を敬い人を愛する)を目的とし、自分の修養には、つねに己れに克つことを心がけねばならない。
己れに克つための極意は、論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし」(主観だけで判断しない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。
総じて人は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗するものだ。
歴史上の人物をみるがよい。
事業を始める人が、その事業の七、八割まではうまくやるのであるが、残りの二、三割を終りまで成し遂げる人の少ないのは、はじめはよく己れを慎んで、事を慎重にするから成功もし、名も世に知られるようになる。
しかし、成功して名も知られるようになると、いつの間にか自分を愛する心が起こり、恐れ慎むという心が緩み、驕り高ぶる気持ちが多くなり、成功したことを自惚れて、何でもできるという過信のもとに、出来の悪い仕事をしてついに失敗する。
これはすべて自ら招いた結果である。
だから、自分にうち克って、人が見ていないときも聞いていないときも、慎み戒めることが大切なのだ。

名言4

西洋の刑法は、もっぱら戒めることを目的とし、むごい扱いを避け、善良に導くことに心を注ぐことが深い。
だから獄中の罪人であっても、緩やかに取り扱い、教戒となるような書籍を与え、場合によっては親族や友人の面会も許すということだ。
西洋のこのような点は誠に文明だと感じるものだ。

名言5

物事に取り組む際、自分の思慮の浅さを心配することはない。
およそ思慮というものは、黙って座り、静かに思いをめぐらしているときにすべきことである。
そのようにすれば、有事のときには、十のうち八、九は実行されるものだ。
事件に遭遇して、はじめて考えてみても、それは寝ているときに夢の中で奇策やすばらしい思いつきを得たとしても、朝起きたときには、役に立たない妄想のたぐいが多いのと同じである。

名言6

会計出納はすべての制度の基礎である。
国家事業はこれによって成り立ち、国家運営の最も重要なことであるから、慎重にしなければならない。
そのあらましを申すならば、収入をはかって支出をおさえるという以外に手段はない。
年間の収入によってすべての計画を定め、会計を管理する者が一身をかけて定まりを守り、予算を超過させてはならない。
そうでなくして時勢にまかせ、制限を緩慢にし、支出に合わせて収入をはかるなら、結局国民に重税を課するほか手はなくなるであろう。
もしそうなれば、一時的に事業は進んだように見えても、国力は疲弊して救い難いことになるだろう。

名言7

策略は日常的にすることではない。
はかりごとをめぐらしてやったことは、あとから見ると善くないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。
ただ戦争において策略は必要なことであるが、日常的にはかりごとをやっていると、いざ戦いということになったとき、同じことはできないだろう。
蜀漢の丞相であった諸葛孔明は、日頃策略を用いなかったから、戦いのときに思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。
私はかつて東京を引き揚げたとき、弟(従道)に対して、私はこれまで少しもはかりごとをやったことがないから、跡は少しも濁ることはないだろう。
それだけはよく見ておくようにと言いおいたことがある。

名言8

人が踏み行うべき道を実践しようとする者は、偉業を尊ばないものである。
北宋の司馬温公(司馬光)は、寝床で語る言葉さえ、人にいえないようなことはないといわれた。
独りを慎むということの真意はいかなるものであるかわかるであろう。
人の意表をつくようなことをして、一時的にいい気分に浸るのは、未熟者のすることで、戒めなければならないことだ。

名言9

賢人がすべての役人を統轄し、政権が一つの方針に進み、国の体制が一つにまとまらなければ、たとえ有能な人物を登用し、自由に進言できるようにして、多くの人の考えを取り入れるにしても、どれを取捨するのか一定の方針がなくては、行うことは雑でまとまりがなく、とても成功どころではない。
昨日出された政府の命令が、今日には変更になるというようなことも、統轄するところが一つでなく、政治の方針が決まっていないからである。

名言10

節操を貫き、道義を重んじ、心清らかで恥を知る心を持つ。
これを失うようなことがあれば、決して国家を維持することはできない。
上に立つ者が下の者に対して自分の利益を争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もみなこれにならい、人の心は財欲にはしり、日に日に卑しく、節義廉恥の志を失い、親子兄弟の間ですら財産を争い互いに敵視するようになるのだ。
このようになったら何をもって国を維持することができようか。
徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世を治めたが、今の時代は昔の戦国時代の勇将よりもっと勇猛な心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することはできないのだ。
普仏戦争の際、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧を残して降伏したのは、あまりにそろばん勘定にくわしかったがためである。

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