村上春樹 心を動かす名言集 – Page 1

村上春樹さんは、日本を代表する小説家であり、その作品は世界中で愛されています。彼の名言は、人生の様々な局面での悩みや迷い、喜びや感動を共有するものとして、多くの人々に読まれ続けています。

月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。」、「忘れたいものは絶対に忘れられないんです。」など、彼の言葉は、私たちの日常生活において、時には軽やかに、時には深く、その背後にある人生の哲学や考えを伝えてくれます。

このブログでは、村上春樹さんの名言を中心に、彼の人生観や思考を深く掘り下げながら、その魅力を再発見していきます。彼の言葉が、あなたの心に何か新しい気づきや感動をもたらしてくれることを願っています。

村上春樹の略歴

項目内容
氏名村上春樹
生年月日1949年1月12日
国籍日本
出生地京都府京都市伏見区
職業小説家、翻訳家
主な作品『風の歌を聴け』、『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』など

村上春樹さんは、1949年1月12日に京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市で育ちました。彼の父は京都府京都市蹴上安養寺住職の息子であり、日中戦争に巻き込まれ、それによって深くトラウマを負ったと言われています。母は大阪・船場の商家の娘であったとされています。また両親ともに高校の国語教師であり、本好きの親の影響を受け読書家に育ちました。

1955年に西宮市立浜脇小学校に入学し、4年生の頃から急に本が好きになり、ジュール・ヴェルヌやデュマの小説、ホームズシリーズやルパンシリーズを読むようになりました。また、娯楽がなかったため、父・千秋に連れられ、西部劇や戦争映画を見ました。

1964年に兵庫県立神戸高等学校に進学し、この頃から国語教師であった父に『枕草子』や『平家物語』といった古典文学を暗唱させられ、その反動で海外文学に興味を移しました。最初に読んだ長編小説はショーロホフの『静かなドン』だったとされています。

1968年に早稲田大学第一文学部に入学し演劇専修へ進みましたが、大学へはほとんど行かず、新宿でレコード屋のアルバイトなどをしながら歌舞伎町東映でほとんど毎週ヤクザ映画を観る日々を送りました。また歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送りました。

1971年10月、高橋陽子さんと学生結婚しましたが、子供は持たないようにしました。1974年、国分寺駅南口にあるビルの地下でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店しました。

1979年、「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞しデビューしました。1987年発表の「ノルウェイの森」は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きました。代表作に「羊をめぐる冒険」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「1Q84」などがあります。

それらの作品は50ヵ国語以上で翻訳されており、日本国外でも人気が高い作家です。2006年フランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされています。精力的にフィッツジェラルドやチャンドラーの作品などを翻訳し、また随筆・紀行文・ノンフィクション等も多く出版しています。

村上春樹さんは、70歳を超えてもなお、新しい作品を発表し続けており、その作品は世界中で愛されています。彼の人生は、常に新しい挑戦と創造性に満ちています。

村上春樹の名言集(1)

名言1

少しずつ向上する。
少しずつだけれど、それでも向上は向上だ。

名言2

僕は逃げられないし、逃げるべきではないのだ。
それが僕の得た結論だった。
たとえどこに行ったところで、それは必ず僕を追いかけてくるだろう。
どこまでも。

名言3

人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。

名言4

誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。

名言5

慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。
この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。

名言6

高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。
そんな時に私は常に卵の側に立つ。

名言7

私が小説を書く理由はひとつだけです。
個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。

名言8

過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。

名言9

月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。

名言10

多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。
いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。

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