マーガレット・サッチャーの名言42選!「考え方が言葉となり、運命となる」に秘められた思い

マーガレット・サッチャーの名言ブログのアイキャッチ画像 マーガレット・サッチャー
マーガレット・サッチャーの肖像画

マーガレット・サッチャーは、イギリスの政治家であり、第71代首相でした。彼女は保守的かつ強硬な政治姿勢から「鉄の女」と呼ばれました。彼女の名言は、今でも多くの人々に愛され、心に響いています。彼女の名言には、「料理や育児や掃除だけじゃなく、人生にはもっと大切なことがある。私は食器を洗って一生を送りたくない。」、「人の一生は、最終的にその人の品格に左右され、品格は自分をどう形成するかにかかっている。」、「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる」などがあります。

マーガレット・サッチャーってどんな人?

項目内容
生年月日1925年10月13日
出生地イギリス、リンカンシャー州グランサム
職業政治家
首相就任1979年、第71代イギリス首相
政策新自由主義政策、民営化
首相辞任1990年、首相辞任、政界引退
死亡日2013年4月8日、87歳
マーガレット・サッチャーの略歴

マーガレット・サッチャーは、1925年10月13日にイギリスのリンカンシャー州グランサムで生まれました。彼女は、イギリスの政治家であり、第71代首相、教育科学相、庶民院議員(9期)、貴族院議員、保守党党首(第15代)を歴任しました。彼女は保守的かつ強硬な政治姿勢から「鉄の女」と呼ばれました。彼女は1979年に保守党代表候補として指名され、43歳という若さでイギリス初の女性首相に就任しました。彼女は1980年代にイギリス経済を立て直すために新自由主義政策を推進し、多くの事業が民営化されました。しかし、社会保障費の削減により失業者や貧困層などからの非難も多く上がりました。1990年に彼女は首相を辞任し、政界を引退しました。彼女は2013年4月8日に87歳で亡くなりました。彼女が首相として最も有名な功績の一つは、1982年にアルゼンチン軍がイギリス領であるフォークランド諸島に進軍した際、イギリス陸海空軍さらに特殊部隊を派遣し、アルゼンチン軍を撃退したことです。これにより人気の上がったサッチャー政権は3度にわたり総選挙を乗り切るが、終盤には人頭税導入により支持率が低下していきました。彼女が在任した80年代のイギリスは、それまでの社会保障や福祉政策が大きく見直され、財政の出費を抑え資本主義本来の市場原理を保証する「新自由主義政策」がとられました。多くの事業が民営化され、自由競争による経済の活性化が期待される一方で、社会保障費の削減により失業者や貧困層などからの非難も多く上がることになります。サッチャーがかかげた「小さな政府」や「民営化」などを基本にした政策は、「サッチャリズム」と呼ばれ、後に各国の保守党のモデルとなりました。

功績や性格がわかるエピソード

「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーは、その厳しい強固な政策でイギリス経済を建て直しました。強固な性格には批判はつきものですが、例に漏れずサッチャーも数々の批判や確執がありました。そんなサッチャーのエピソードを見ていきましょう。

「鉄の女」と呼ばれた理由

サッチャーは、イギリス初の女性首相で、「鉄の女」という異名で知られています。彼女の強靭な精神からこのような異名がついたと言われています。彼女が「鉄の女」と呼ばれるきっかけを作ったのは、ソ連の国防省機関紙「赤い星」に掲載された軍事ジャーナリストの論文でした。1979年1月24日に掲載されたその論文の中で、サッチャーの人柄を「ジェレズナヤ・ダマ」と例え、それをイギリスの週刊新聞が翌日の記事で「アイロン・レディー」と翻訳し、それが後に広く知れ渡ることになったのです。彼女の強さがうかがえるエピソードとしては、イギリス経済の立て直しやフォークランド諸島の奪還などがあります。周囲に有無を言わせぬ強硬な手段で行う彼女の政治は、イギリスを大きく改革していく一方で批判の的にもなる、まさに「鉄の女」と呼ばれるにふさわしいエピソードであふれている。また、晩年は認知症を患っており、首相時代の記憶もあいまいになり、会う人も誰だかわからなくなっていたという。しかし、首相時代の記憶が一時的に戻るのか、たまの外出で詰めかけた市民が声をかけると反射的に手を振ったとのこと。

功績と政策

サッチャーは、国の舵取りが難しい時期に強い姿勢で外国から自国を守った点、イギリス病からイギリスを救った点、さらに女性初のイギリス首相という点では評価が高い人物です。彼女が行った経済政策は非常に実用的で、現在のイギリスの繁栄になっています。まずサッチャーは、経済の貨幣的な側面を重視するマネタリスト(通貨主義者)でした。新自由主義を代表するアメリカの学者であったミルトン・フリードマンによる通貨主義の理論に基づき、1979年、イギリスの金利は大幅に引き上げられました。この施策は、価格の上昇、つまりインフレの拍車に歯止めをかけることが目的でした。また、サッチャー政権の下では公共住宅が販売される住宅政策が実施されました。1980年に実施されたこの政策によって、それまで公営住宅に住んでいたテナント達が、大幅な割引価格で公営住宅を購入することができるようになりました。さらに、サッチャー政権は、サッチャリズムと呼ばれる経済政策の中で、主な公益事業を含む数ある国営企業を民営化する政策を実施しました。それまでは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる高福祉政策が取られていたため、通信、ガス、水道、鉄道、航空など、多くの事業が国によって営まれていたのです。なんだかどこかの極東の国みたいですね。そして、サッチャー政権下では、労働法の改正などによって、労働組合が連帯して活動することが禁止されました。これは、1970年代から恒常化して頻発していた労働組合によるストライキを鎮静させ、経済を安定させていくために採用された施策です。これらの政策は、イギリス経済の立て直しに大いに貢献しました。

評価

非常に経済的に有利な政策をしたサッチャーの評価は実は非常に分かれています。彼女の政策は、イギリス経済の立て直しに大いに貢献しましたがその一方で、彼女の政策は失業者を増大させ、地方経済を不振に追いやったという批判もあります。また、彼女は富裕層優遇政策をとったことから、リベラリズムや労働者からの評価は低いとされています。しかし、彼女の政策は「サッチャリズム」と呼ばれ、後に各国の保守党のモデルとなりました。彼女の政策は国の舵取りが難しい時期に強い姿勢で外国から自国を守った点、イギリス病からイギリスを救った点、さらに女性初のイギリス首相という点では評価が高いです。しかし、彼女の政策により労働組合の力が削減され、公共部門が大幅に縮小されたことは、一部の労働者から強い反発を引き起こしました

エリザベス女王との関係

マーガレット・サッチャーとエリザベス女王の関係は、大英帝国の歴史の中で重要な一部を占めています。彼女たちは同世代で、生まれた年は半年違いでした。サッチャーは1979年にイギリスの首相に就任し、初の女性首相となりました。サッチャー首相との関係は、特に注目されました。彼女たちは共通点もあれば、意見の違いもありました。例えば、エリザベス女王は英連邦に執着していましたが、サッチャー首相はアメリカやヨーロッパを優先する姿勢をとりました。サッチャー首相の在任中、彼女の政策はイギリス社会に大きな影響を与えました。彼女は福祉を切り捨て、競争原理を導入し、産業革命以降のイギリスの経済を大きく変えました。これは、大英帝国の歴史の中で重要な時期であり、その影響は今日まで続いています。しかし、エリザベス女王とサッチャー首相の関係は必ずしも平穏なものではありませんでした。彼女たちは政策や価値観の違いから時折対立しましたが、それでも互いに敬意を持って接し、イギリスの利益のために共に働きました。このような彼女たちの関係は、大英帝国の歴史の中で重要な一部を形成しています。

デニス・サッチャー

マーガレット・サッチャーの夫、デニス・サッチャーは、イギリスの実業家であり、陸軍軍人でした。彼は1915年5月10日に生まれ、2003年6月26日に亡くなりました。彼はイギリス史上初の男性首相配偶者として知られています。デニス・サッチャーは、19世紀後半に塗料や防腐剤を製造する会社「アトラス・プリザーヴァティヴズ」を創業した実業家の孫で、父親がその事業を継承していました。彼は戦時中に陸軍砲兵部隊の少佐として出征し、1942年に最初の結婚をしましたが、出征のために疎遠になり、6年後に離婚しました。デニス・サッチャーは、1950年2月の総選挙で保守党候補となったマーガレット・ロバーツと出会い、彼女を駅まで送迎したことで親しくな二人は1951年12月13日に結婚しました。彼らの間には2人の子供、マークとキャロルがいます。彼は妻が首相を務めていた間、一緒にダウニング街10番地に入居し、妻から頼りにされ、政治的な相談にもよく乗っていたと言われています。妻が首相を退任した直後の1990年12月7日に、女王エリザベス2世より準男爵位に叙せられました。これは妻を支えた功績からの叙任でした。新聞各紙からも、「首相の夫」という初めての役割を威厳をもって務め上げたことを高く評価されました。

マーガレット・サッチャーの名言集(1)

名言1

料理や育児や掃除だけじゃなく、人生にはもっと大切なことがある。
私は食器を洗って一生を送りたくない。

名言2

人の一生は、最終的にその人の品格に左右され、品格は自分をどう形成するかにかかっている。

名言3

懸命に働かずしてトップに立った人など、私は一人も知りません。
それがトップに立つための秘訣です。
必ずしもそれでトップになれるとは限りませんが、かなり近いところまでは行けるはずです。

名言4

社会なんてものはない。
個人としての男がいて、個人としての女がいて、家族がある。
ただそれだけだ。

名言5

幸運だったわけではありません。
私はそれだけの努力をしてきました。

名言6

民主主義の眼目は、率直で力を込めた討論である。

名言7

成功には素質も必要でしょう。
しかし、それだけでは十分でないことを自覚し、目的を持って努力しなければ、成功は得られません。

名言8

多数に追随するな。
自分自身で決断せよ。
そして人々をも納得させ、リードしていけ。

名言9

高々と鳴くのは雄鶏かもしれません。
しかし、卵を産むのは雌鶏です。

名言10

家庭の問題を理解できる女性ならば、国家を運営する問題をより理解できる。

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