【経営の神様】松下幸之助の名言120選!エピソードや彼の生涯もまとめました

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松下幸之助

松下幸之助はパナソニックの創業者として知られ、その経営哲学は「進歩と調和」であり、その考え方は今日でもパナソニックの経営理念として受け継がれています。彼の名言には、「失敗すればやり直せばいい。やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。」、「誠意や真心から出たことばや行動は、それ自体が尊く、相手の心を打つものです。」などがあります。

松下幸之助の人生

項目内容
生年月日1894年11月27日
出生地和歌山県
家族背景小地主の三男
学歴旧制浪商中学(現在の大阪市立浪速高等学校)卒業
職歴松下電器産業(現在のパナソニック)創業者
主な業績パナソニックの創業、家庭用電化製品の普及
特徴「神から人間への使命」を語り、経営理念「進歩と調和」を掲げた
死去1989年4月27日

松下幸之助は1894年に和歌山県で生まれ、9歳で大阪に奉公に出されました。16歳で大阪電灯(現在の関西電力)に就職し、電気に関する知識や技術を身につけました。22歳の時に独立を決意し、1918年に大阪に松下電気器具製作所(現在のパナソニック)を創業しました。彼が開発した電球ソケットは、当時の日本ではまだ新しい製品でした。その後、彼は扇風機や乾電池などの製品を次々と開発し、日本の電機産業のリーダーとして成長させました。彼の経営哲学は「企業は人なり」であり、社員や取引先だけでなく、消費者や社会にも利益を還元することを目指しました。第二次世界大戦中は、下命で軍需品の生産に協力しました。戦後はGHQによって財閥解体の一環として制限会社に指定され、幸之助自身も公職追放処分を受けました。しかし、彼は自らの会社と従業員を守るために、GHQとの交渉を続け、結果的に松下電器は解体を免れました。その後、彼はパナソニックを世界的な企業に成長させ、1989年に94歳で亡くなるまで経営に携わりました。彼の人間愛と経営哲学は、経営者としての責任とは、従業員を守り、共に困難を乗り越えることであるという信念を反映しています。そして、その信念は、経営の危機の中でも揺るぎないものでした。

松下幸之助のエピソード6選!

松下幸之助氏は経営の神様と呼ばれ、そのエピソードは数多くあります。その中から厳選したエピソードをご紹介します。

幼少期の丁稚奉公

松下幸之助は9歳のときに丁稚奉公に出されました。最初の奉公先は大阪市南区にあった宮田火鉢店でした。しかし、この店は松下が入ってからわずか3カ月で閉店しました。その後、彼は親方の知り合いの五代自転車商会に移りました。五代自転車商会の主人とその妻は、松下を実の子どものようにかわいがりました。ある日、全員で記念写真を撮ることになりましたが、松下は運悪く用事を言いつかり、その時刻に間に合わなかったため、楽しみにしていただけに泣き出しました。すると、夫人は彼の手を取り、写真屋に連れて行き、一緒に写真を撮ってくれました。松下は五代自転車商会で最も多感な少年時代を約5年4ヵ月過ごしました。この経験は彼の商売の基礎を作り、後の成功につながりました。彼は後年、「松下電器が将来どうなろうと、常に一商人であるという観念を忘れない」と社員に述べています。これは、彼が人間の成長を大切にし、人を育てることを事業の中心に置いていたことを示しています。そして、その信念は、経営の危機の中でも揺るぎないものでした。

人を切らない経営

松下幸之助は、パナソニックの創業者として知られています。彼の経営哲学は「企業は人なり」であり、その信念は特に世界恐慌の時期に顕著に表れました。1929年、世界恐慌が勃発し、日本経済は深刻な打撃を受けました。この大恐慌で、多くの企業が工場閉鎖や大規模なリストラを行い、失業者が増え、社会不安が高まりました。松下電器も売り上げが半分となり、倉庫は在庫でいっぱいになる深刻な事態に見舞われました。当時、松下幸之助は病気療養中でしたが、幹部から経営危機を乗り切るには、従業員を半減するしかないという意見具申を受けました。しかし、松下幸之助は「生産は半減するが、従業員は解雇してはならない。給与も全額支給する。工場は半日勤務にし、店員は休日を返上し、ストックの販売に全力を傾注してほしい」と指示しました。松下幸之助のこの方針が告げられると、全員が歓声を上げました。一致団結の姿が生まれ、全店員が無休で販売に努力した結果、2ヵ月後にはストックは一掃され、逆にフル生産に入るほどの活況を呈するに至りました。

「松下電器は人をつくるところです。」

あるとき、「松下電器は何を作る会社か」と尋ねられた際、松下幸之助は「松下電器は人をつくるところでございます。併せて電気製品も作っております」と答えました。これは、松下幸之助が人間の成長を大切にし、人を育てることを事業の中心に置いていたことを示しています。また、彼は「自分が利益を得るためではなく、人々が幸せになるために仕事をする」という姿勢で仕事に取り組みました。これらのエピソードは、松下幸之助の人間愛と経営哲学が如何に深いものであったかを示しています。彼の考え方は、経営者としての責任とは、従業員を守り、共に困難を乗り越えることであるという信念を反映しています。そして、その信念は、経営の危機の中でも揺るぎないものでした。

戦後の解体危機!?

松下幸之助がパナソニックを経営していた1946年(昭和21年)、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の方針により、松下電器は相次ぐ制限令を受けることとなりました。その中には、制限会社の指定、財閥家族の指定、賠償工場の指定、軍需補償の打ち切り、公職追放の指定、持株会社の指定、集中排除法の適用という7つの制限が含まれており、松下電器は解体の危機に直面しました。松下幸之助は、規模や業容、財界での位置から見ても、松下電器は「財閥」ではないと考え、GHQの判断は間違いであると主張しました。彼は自ら東京のGHQ本部・財閥課に何度も足を運び、抗議を行いました。その結果、昭和24年に松下家への「財閥家族」指定が、昭和25年に松下電器への「制限会社」指定が解除されました。その間、4年の歳月が流れ、松下幸之助自身がGHQを訪れた回数は50回を数えていました。

熱海会談

1964年、松下幸之助は全国170社の販売会社、代理店の社長を熱海のホテルに招いて「熱海会談」を開催しました。この会談は、松下電器(現在のパナソニック)の経営危機を共有し、対策を早急に打つためのものでした当時、日本経済は不況に突入し、家電商品の売上が鈍化していました。松下電器も同様に売上が下落し、販売会社や代理店の債権が急速に増えていました。松下幸之助はこの危機的状況を察知し、全国の販売会社・代理店の社長に対して、実情を率直に打ち明けてもらい、課題を共有することを求めました。3日間にわたる激論の末、松下幸之助は販売会社・代理店の経営状態の厳しさが松下電器の落ち度であることを認め、謝罪しました。この謝罪が「熱海会談」の最大のポイントであり、その後の松下電器の経営改善につながりました。

人を動かす、経営の秘訣について

松下幸之助さんは、「百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、一万人にもなれば、拝まなければ人は動かない」という名言を残しています。これは、組織の規模が大きくなるほど、リーダーが部下に対して敬意を持ち、尊重することの重要性を示しています。彼は、人々を動かすためには、ただ命令するだけではなく、相手を尊重し、感謝の気持ちを持つことが必要だと考えていました。特に大きな組織では、リーダー一人の力だけでは全てを管理することは不可能であり、部下やメンバーの協力と支持が必要となります。そのため、リーダーは部下に対して敬意を持ち、感謝の気持ちを忘れず、自分の思いや意志を伝えるとともに、部下の意見や感情に耳を傾けることが重要だと彼は語っています。

松下幸之助の名言集(1)

名言1

失敗すればやり直せばいい。
やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。

名言2

誠意や真心から出たことばや行動は、それ自体が尊く、相手の心を打つものです。

名言3

冷静ほど、大事なことはないのである。

名言4

アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。
これもやはり熱心であること。
寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。

名言5

売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。

名言6

人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。
希望を持ちたい。
それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。

名言7

謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。

名言8

「ありがとう」と言う方は何気なくても、言われる方はうれしい、「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう。

名言9

どんなに悔いても過去は変わらない。
どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。
いま、現在に最善を尽くすことである。

名言10

ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、小便が赤くなるくらいにならないとあかんのや、そういうことを二、三べん経てこないことには、一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。
どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、小便が赤くなるという。
そういうようなことをしてきて初めて一人前の商売人になる。
だから尋ねるんやが、あなた、儲からん儲からん言うけど、小便赤くなったことあるか?

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