瀬戸内寂聴の名言・格言 72選!辛い時、人間関係、恋愛、病気など人生のためになる言葉

瀬戸内寂聴の名言ブログのアイキャッチ画像 偉人名言集

瀬戸内寂聴さんは、日本の小説家であり、天台宗の尼僧でもありました。彼女は、1997年に文化功労者、2006年に文化勲章を受賞しました。彼女の名言は、人生の様々な局面での悩みや迷い、喜びや感動を共有するものとして、多くの人々に読まれ続けています。「男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ。」、「大抵の人間は自分本位です。特に女性は、自分中心に地球が廻っていると思っていて、思い通りにならない現実に腹を立てて愚痴ばかり言うのです。思い当たることはありませんか。」など、彼女の言葉は、私たちの日常生活において、時には軽やかに、時には深く、その背後にある人生の哲学や考えを伝えてくれます。

瀬戸内寂聴の略歴

項目詳細
氏名瀬戸内寂聴
生年月日1922年5月15日
没年月日2021年11月9日
享年99(歳)
国籍日本
出生地徳島県徳島市塀裏町(現在の徳島市幸町)
職業小説家、尼僧
名言男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ。

瀬戸内寂聴さんは、1922年5月15日に徳島県徳島市塀裏町(現在の徳島市幸町)に生まれました。彼女の父親は仏壇店を営んでいました。彼女は東京女子大学に進学し、1943年2月に結婚しました。その後、夫と一緒に北京に移住し、1944年8月1日に女の子を出産しました。しかし、25歳のとき、彼女は年下の文学青年と恋に落ち、夫と3歳の長女を棄てて家を出ました。その後、京都で生活し、1950年に正式に離婚しました。彼女は上京して本格的に小説家を目指し、1956年に処女作「痛い靴」を発表し、1957年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞しました。その後、彼女は多くの恋愛小説や伝記小説を書き、人気作家となりましたが、1973年に51歳で出家し、天台宗の尼僧となりました。彼女はその後も多くの作品を発表し続け、1992年に「花に問え」で谷崎潤一郎賞を受賞するなど、作家としての地位を確立しました。瀬戸内寂聴さんは2021年11月9日に心不全のため亡くなりました。彼女は99歳まで生き抜き、波乱万丈な人生を送りました。彼女の名言や作品は今でも多くの人々に愛され続けています。

瀬戸内寂聴のエピソードまとめ

瀬戸内寂聴のその破天荒な人生や考え方がわかるエピソードをまとめました。

実は破天荒な恋愛遍歴

瀬戸内寂聴は、その生涯を通じて多くの破天荒なエピソードを残しました。彼女は20歳で結婚し、22歳の時には娘を出産しました。しかし、その後、夫の教え子と不倫関係になり、娘を残して家を出てしまいました。その後、彼女は上京し、本格的に小説家を目指しました。彼女は作家・小田仁二郎やその妻を巻き込んだ「四角関係」も経験しました。それを題材に40歳の時「夏の終り」を執筆し、ベストセラーになりました。さらに作家・井上光晴とも関係を持ちました。しかし、51歳で突然、出家し、世間を騒然とさせました。当時、瀬戸内は「煩悩から自由になる」ためとしたが、後に井上との関係が原因だったと認めています。また、85歳のときに48歳年下のIT企業経営者と恋愛関係にあったとも言われています。そんな彼女はこんな名言を残しています。まさに彼女の人生を表している名言ですね。

いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。
すべてに感謝しましょう。

https://kabushikihakushi.com/2023/08/12/setoutijyakutyou_quotes-page-1/

瀬戸内寂聴の遺産と最愛の秘書

瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴の遺産と秘書については、彼女の晩年の11年間を共に過ごした秘書、瀬尾まなほさんが多くを語っています。瀬尾さんは、瀬戸内さんの最期の日々を綴った『#寂聴さん 秘書がつぶやく2人のヒミツ』を出版しています。瀬尾さんは、瀬戸内さんの秘書を続けながら結婚し、出産もしています。初めての妊娠はいつも不安にかられていて、とにかく世間に知られたくなくて、最初の頃は隠していたそうです。しかし、瀬戸内さんは瀬尾さんの妊娠を喜び、クビにはしなかったと言います。また、瀬戸内さんは500坪を超える豪邸を所有し、莫大な財産があると言われています。しかし、遺産を目当てに瀬尾さんが秘書をしているという噂については、瀬尾さん自身が否定しています。瀬尾さんは、瀬戸内さんが胆嚢癌の手術を行った際などは入院していた際には週に5日も泊まりで看病をしていたと述べています。そんな秘書への愛がわかる彼女は次のような名言を残しています。

本当に苦しんでいる子どもに、いろんな理屈を言っても駄目。
まずは、子どもを抱きしめてやることが大切なんです。

https://kabushikihakushi.com/2023/08/12/setoutijyakutyou_quotes-page-1/

「生きること」について

瀬戸内寂聴は、生きることについて深い洞察を持っていました。彼女は人生を全うするための重要な教訓を多くの人々に伝えてきました。彼女は「生きることの意味や人間の幸福」について語り、自分自身が100歳を迎えた際には、「だって100だものね。仕方がない」と朗らかに笑いながら、生きることの意味や人間の幸福について語っていました。彼女はまた、「人生にはいろいろなことがあります。しかし、悲しいことは忘れ、辛いことはじっと耐え忍んでいきましょう。それがこの四苦八苦の世を生きる唯一の方法ではないかと思います」と語っています。さらに、彼女は「今という貴い瞬間をしっかり生きることが大切」と述べ、人生は常に変化し、流れていくものであるという視点を示しています。また、彼女は「いろんな人とのつながりもある」と語り、人とのつながりを通じて新たな視点が養われることを強調しています。

短い名言抜粋

辛い時の名言

名言

一日に一回は鏡を見る方がいいです。 できればにっこりと笑ってみてください。 心にわだかまりがない時は、表情がいきいきしているはずですよ。

名言

あなたは苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っているのですよ。

名言

人間はいつも無いものねだりなのです。 そして心はいつも満たされない思いで、ぎしぎし音を立てています。 欲望はほどほどに抑えましょう。

子育ての名言

名言

お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。

名言

人間は、元々そんなに賢くありません。 勉強して修行して、やっとまともになるのです。

名言

あらゆる戦争は悪だと思っています。 戦争にいい戦争なんてありません。 私たち老人は、そのことを語り継がなければなりません。

人間関係の名言

名言

自分を愛してもらいたいから、相手を愛する、それが渇愛です。 自分を忘れて他人に尽くす仏さまの慈悲とは正反対ということです。 慈悲はお返しを求めません。

名言

自分が孤独だと感じたことのない人は、人を愛せない。

名言

とにかく人のことが気になって気になってしょうがない、これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。

恋愛の名言

名言

男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ。

名言

男女の間では、憎しみは愛の裏返しです。 嫉妬もまた愛のバロメーターです。

名言

人は、人を愛していると思い込み、実は自分自身だけしか愛していない場合が多い。

瀬戸内寂聴の名言集(1)

名言1

私は物心ついた時から職人の娘でした。
盆暮れしか休みが無いのが当然でしたから、人間は働くものだと思って育ちました。
これは無言のしつけだったのでしょう。

名言2

いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。
すべてに感謝しましょう。

名言3

美しいもの、けなげなもの、可愛いもの、または真に強い勇ましいものに感動して、思わず感情がこみあげて、涙があふれるというのは若さの証しです。
ものに感動しないのが年をとったということでしょう。

名言4

人間は善悪両方を持っています。
それを、自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、悪の誘惑に負けずに善行を積んでいくことが人間の道なのです。

名言5

本当に苦しんでいる子どもに、いろんな理屈を言っても駄目。
まずは、子どもを抱きしめてやることが大切なんです。

名言6

夫婦の間でも、恋人の間でも、親子の間でも、常に心を真向きにして正面から相手をじっと見つめていれば、お互いの不満を口にする前に相手の気持ちがわかるはずです。

名言7

この世は変化するものだと思っていれば、どんな事態に直面しても度胸が据わります。
孤独の問題も同じです。
お釈迦様は人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいくとおっしゃいました。
最初から人間は孤独だと思っていれば、たとえひとりぼっちになったとしても、うろたえることはありません。

名言8

愛に見返りはないんです。
初めからないと思ってかからないと駄目です。
本当の愛に打算はありません。
困ったときに損得を忘れ、助け合えるのが愛なのです。

名言9

私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。
挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります。

名言10

生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。

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