【イタリア最大の詩人】ダンテの名言29選!神曲のあらすじやベアトリーチェとの関係も紹介!

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ダンテ・アリギエーリは、1265年にイタリアのフィレンツェに生まれ、1321年9月14日に亡くなりました。彼は、詩人、哲学者、政治家として知られています。彼は政界を追放され、放浪生活を送りながら文筆活動を続けました。彼の名言には「女の愛というものは、見たり、触ったりすることによって燃やし続けていなければ、どれほども続かないのである。」、「不幸な時に幸福だった日々を思い出すことほど悲しいものはない。」などがあります。

ダンテってどんな人?

項目内容
生年月日1265年
出身地イタリア・フィレンツェ
代表作叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』、詩文集『新生(La Vita Nuova)』
職業詩人、哲学者、政治家
死亡日1321年9月14日

ダンテ・アリギエーリは、1265年にイタリアのフィレンツェに生まれ、1321年9月14日に亡くなりました。彼は、詩人、哲学者、政治家として知られています。彼は政界を追放され、放浪生活を送りながら文筆活動を続けました。ダンテの代表作は、古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生(La Vita Nuova)』があります。彼はイタリア文学最大の詩人であり、ルネサンス文化の先駆者と位置付けられています。ダンテは金融業を営む教皇派(ゲルフ)の小貴族の父アリギエーロ・ディ・ベッリンチョーネとその妻ベッラの息子として生まれました。彼はラテン語の古典文法や修辞学、哲学などを学びました。ダンテが最も敬愛する師として『神曲』に登場させているのは、『宝典』を著したイタリアの哲学者で有力な政治家のブルネット・ラティーニです。ダンテはおそらく18歳の頃にラティーニから修辞学や論理学などを学んだとされており、『神曲』地獄篇第15歌で、男色の咎ゆえに炎熱地獄に配しながらも「人間が生きる道」を教えてくれた旧師に対する敬慕を忘れていません。彼は1290年に24歳で亡くなったベアトリーチェ・ポルティナーリへの愛を綴った詩文集『新生』を著しました。また、1304年から晩年の1321年にかけて執筆にあたり、完成させた自身最大の長大作『神曲』も有名です。

ダンテ「神曲」とは?

ダンテ・アリギエーリの『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成り、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられます。『神曲』は、当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。また、ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部からなる。ダンテが、古代ローマの詩人ヴェルギリウスに案内されて地獄と煉獄を巡り、ベアトリーチェに導かれて天国にのぼり、神の栄光に接する。ダンテの「神曲」の天国は同心円状に各星々が取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙観を元に作られた世界です。ダンテの「神曲」の天国は十層構造でできています。最上層は神がいる至高天で最下層は月天です。

ダンテ「神曲」のあらすじ

『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部からなり、ダンテが古代ローマの詩人ヴェルギリウスに案内されて地獄と煉獄を巡り、ベアトリーチェに導かれて天国にのぼり、神の栄光に接する物語です

  • 地獄篇: ダンテがなぜか地獄の道に迷い込み、ヴェルギリウスに案内されて9層ある地獄を巡ります。各地獄で、ギリシャ神話に登場する者、偉人、ダンテの身近にいた者などと出会いながら、それぞれの罪の重さを知ります。
  • 煉獄篇: ダンテはヴェルギリウスに案内されて煉獄を巡ります。煉獄は、罪を犯したが救いを求めて悔い改めた魂が罪の浄化を受ける場所です。
  • 天国篇: ダンテはベアトリーチェに導かれて天国にのぼり、神の栄光に接します。天国は同心円状に各星々が取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙観を元に作られた世界で、最上層は神がいる至高天で最下層は月天です。

『神曲』は、ダンテ自身が登場人物となり、地獄の深淵から始まる三界を巡歴し、ついには恋人ベアトリーチェの導きによって天国にはいることを許され、神の愛の深さをまのあたりに見るにいたるまでの魂の浄化を描いています。

ダンテ「神曲」の名言”E’ quindi uscimmo a rivedere le stelle! “

ダンテ・アリギエーリの『神曲』の地獄篇の最後の行にあたる「E’ quindi uscimmo a rivedere le stelle!」は、イタリア語で「そして我々は再び星々を見るために出てきた!」という意味です。この名言は、ダンテと彼の導き手である古代ローマの詩人ヴェルギリウスが地獄を抜け出し、再び星空の下に出てきた瞬間を表現しています。地獄の暗闇から這い出てきたダンテが、星たちが輝く美しい光景を目の当たりにした時の喜びと安堵感を象徴しています。また、このフレーズはイタリアにとってとても大切な言葉だとされています。厳しい時間を耐えて生き、乗り越えて美しい星たちを観ることができるでしょう、という希望と前向きなメッセージを込めています。なお、『神曲』の3部作(地獄篇、煉獄篇、天国篇)はすべて最後の行が「stelle」(星)で終わっており、これはダンテの旅の目的地である「星」への憧れと希望を象徴しています。

政界からの追放と執筆生活

ダンテ・アリギエーリ彼の人生は波乱に満ちており、その中でも特に注目すべきは彼が政界から追放されたエピソードです。1300年、ダンテはフィレンツェの新興勢力である白党の最高行政機関の統領三人のうちの一人に選ばれました。しかし、翌1301年にはフィレンツェの実権を握った保守派の黒党によって白党は弾圧され、ダンテはフィレンツェを永久追放されました。その後、ダンテは北イタリアの各地を放浪し、政治改革に奔走する一方で、執筆活動も本格的に行いました。彼の代表作である『神曲』はこの放浪生活の中で書き始められ、各地を転々としながら執筆を続けました。1318年にはラヴェンナの領主から招待を受け、約17年間に及んだ放浪生活に終止符を打ちました。ラヴェンナで家族と共に暮らし、『神曲』の執筆に専念しました。

ダンテとベアトリーチェの永遠の愛

ダンテ・アリギエーリの作品に登場するベアトリーチェは、彼の永遠の愛とされています。彼女はダンテの詩的霊感の源であり、彼の作品の多くに影響を与えました。ダンテとベアトリーチェの出会いは、彼らが9歳のときとされています。その9年後、彼女から初めて会釈を受けたダンテは詩的霊感を受け、彼女への深い愛情を抱くようになりました。彼女はダンテの作品『新生』では詩的霊感を受けた女性として思慕の対象となり、『神曲』では煉獄から天国へダンテを導く霊魂として描かれています。また、彼女はダンテが終生の理想とした女性であり、彼の作品を創作する原動力となりました。しかし、ベアトリーチェの存在は現実だけでなく象徴的な意味も持っています。彼女の名前は「至福を与える女」を意味し、ダンテの作品においては「愛」の寓意とされています。これは、ダンテが彼女を通じて天上と地上を結ぶ愛の導き手と考えていたことを示しています。

ダンテの名言集(1)

名言1

女の愛というものは、見たり、触ったりすることによって燃やし続けていなければ、どれほども続かないのである。

名言2

賢い人間は時間を無駄にすることに最も腹が立つ。

名言3

美は魂を覚醒させ行動を起こさせる。

名言4

地獄の最も暗い場所は、道徳的危機に臨んで中立を保っていた人のために用意されている。

名言5

不幸な時に幸福だった日々を思い出すことほど悲しいものはない。

名言6

わたしは知ることはもちろん、疑うことも愛する。

名言7

物事を成し遂げる秘訣は、行動することだ!

名言8

自負、嫉妬、貧欲。
これらは人の心に火を放つ火花である。

名言9

他人のパンの味がいかに塩辛く、他人の家の階段の上がり下がりがいかにつらいことか、あなたにも分かるであろう。

名言10

弟子が師を手本とするように、芸術は可能な限り自然にならう。

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