【割腹自殺】三島由紀夫の名言70選!「恋愛」や「日本」について学べる名言

三島由紀夫 名言 「本当の美とは人を黙らせるものであります。」 三島由紀夫
三島由紀夫の肖像画

割腹自殺という衝撃的な死を遂げた三島由紀夫氏。彼は天才的でその整った文章を武器に、自身の政治思想などを世に伝え彼なりに祖国の復活を熱く伝える現代では考えられないような熱い男でした。最後は自身の想いを伝えるべく、その命をも犠牲にして伝えたかったメッセージをはなんなのでしょうか?

彼の名言には、男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは思いやりの能力である。武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えながら、現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。」、「生まれて来て何を最初に教わるって、それは「諦める」ことよ。などがあります。
そんな「諦める」ことを知っている彼が割腹自殺をしてまで「諦めたくなかった」主張とはなんだったのでしょうか?

三島由紀夫氏のエピソードや名言から彼の生き様を探り、彼の伝えたかったことを探っていきましょう。

三島由紀夫ってどんな人?

項目内容
生年月日1925年1月14日
出生地東京市四谷区永住町
身長163cm
死亡日1970年11月25日
死亡地東京都新宿区市谷本村町
死因割腹自殺
最後の言葉信頼できる記録なし(幾多もの説があるが基本死去直前の演説から抜粋されることが多い)
職業小説家, 劇作家
代表作『仮面の告白』, 『潮騒』, 『金閣寺』, 『鏡子の家』, 『憂国』, 『豊饒の海』
三島由紀夫の略歴

三島由紀夫は、1925年1月14日に東京市四谷区永住町(現在の東京都新宿区四谷四丁目)に生まれ、1970年11月25日に東京都新宿区市谷本村町(現・市谷本村町5-1)の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監部総監室で亡くなりました。彼は、戦後の日本の文学界を代表する作家の一人であり、ノーベル文学賞候補にもなりました。彼は、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』などの小説や、『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などの戯曲があります。彼は、修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴です。晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成しました。1970年11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ東部方面総監を監禁し、バルコニーで自衛隊員にクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げました。この一件は社会に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与えました。彼は満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多いです。彼はまた、Esquire誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人であり、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもあります。

三島由紀夫の思想

三島由紀夫の思想は、戦後日本のアイデンティティを巡る葛藤の中で形成されました。彼は日本の古き良き伝統と美学を深く尊敬し、特に武士道と皇室を理想化しました。これらの価値観は、彼の見るところでは、西洋化と民主主義の浸透によって脅かされていると感じ、三島は文学と自身の公の生活を通じて、これらの伝統的価値を復活させ、現代社会に再び根付かせることを目指していました。彼の作品には、美への執着、身体と精神の統合、そして自己犠牲のテーマが常に流れています。晩年には、三島はさらに積極的な政治行動に訴えるようになります。彼は自らの私兵組織「楯の会」を設立し、日本がアメリカの影響下から脱し、天皇を中心とした国家体制に回帰することを主張しました。彼の思想は、静かなナショナリズムから、より積極的で、時には過激な愛国主義へとシフトしていきました。1970年には自衛隊への訴えと自決という衝撃的な行動によって、彼の理想と現実の間の橋渡しを試み、自らの生と死によってメッセージを残しました。三島由紀夫の思想は、美、死、行動を通じて理想を追求するという、彼の複雑で矛盾に満ちた内面を映し出しています。

割腹自殺をしてまでも伝えたかったメッセージ

三島由紀夫の最後は、1970年11月25日に自ら演出した劇的な結末で迎えられました。彼は自ら率いる私兵組織「楯の会」のメンバーと共に、自衛隊の東京の市ヶ谷駐屯地を占拠し、日本の自衛隊員に向けて、日本の伝統的価値と皇室の権威への回帰を呼びかける演説を行いました。しかし、この試みは成功せず、彼の主張は自衛隊員や国民からの支持を得ることはありませんでした。その後、三島は自らの信念のもと切腹し、直接の部下が首を切る介錯を行い、彼の生涯は終わりを告げました。この自決は、彼の思想と芸術への深い信念、そして古き良き日本への懐古的な願望を体現するものであり、その後も多くの議論を呼ぶ出来事となっています。彼の最後の言葉はさまざまな説が出ていますが、基本的には死去直前の演説などの言葉を指すことが多く、人生最後の言葉を記した確証のある文献は今のところありません。

三島由紀夫の名言集(1)

名言1

男の世界は思いやりの世界である。
男の社会的な能力とは思いやりの能力である。
武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えながら、現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。

名言2

この世には最高の瞬間といふものがある。
この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。

名言3

本当の美とは人を黙らせるものであります。

名言4

忘却の早さと、何事も重大視しない情感の浅さこそ人間の最初の老いの兆しだ。

名言5

変わり者と理想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。
どちらも、説明のつかないものに対して、第三者からはどう見ても無意味なものに対して、頑固に忠実にありつづける。

名言6

生まれて来て何を最初に教わるって、それは「諦める」ことよ。

名言7

初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、初恋は破れるほうがいいと言う説もある。

名言8

動物になるべき時には、ちゃんと動物になれない人間は不潔であります。

名言9

なぜ大人は酒を飲むのか。
大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。
子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。

名言10

若い世代は、代々、その特有な時代病を看板にして次々と登場して来たのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました