【凶暴な正義】マルコムXの名言40選!”黒人を守るため暴力を行使するのが誤りならば、アメリカを守るために外国で戦わせるのも誤りだ。”

マルコムXの名言ブログのアイキャッチ画像 マルコムX
マルコムXの肖像画

マルコムXは、1925年5月19日にアメリカのネブラスカ州オマハで生まれたアフリカ系アメリカ人の人権活動家であり、イスラム教徒でした。彼は、人種差別に対する抗議活動や、黒人の権利を求める運動に参加し、その強いリーダーシップと熱烈な演説で知られています。彼の名言には、「教育こそが未来へのパスポートだ。明日という日は、今日準備をする人たちのものである。」、「黒人を守るため暴力を行使するのが誤りならば、アメリカを守るために外国で戦わせるのも誤りだ。」などがあります。

黒人を守るため暴力を行使するのが誤りならば、アメリカを守るために外国で戦わせるのも誤りだ。

マルコムXの名言

マルコムXってどんな人?

項目内容
生年月日1925年5月19日
出生地アメリカ、ネブラスカ州オマハ
職業人権活動家、イスラム教徒
組織Nation of Islam、Muslim Mosque, Inc.
死因暗殺(ニューヨーク市ハーレム地区のオーデュボン・ボールルームで演説中)
マルコムXの略歴

マルコムXは、1925年5月19日にアメリカのネブラスカ州オマハで生まれました。彼は、アフリカ系アメリカ人の人権活動家であり、イスラム教徒でした。彼は、人種差別に対する抗議活動や、黒人の権利を求める運動に参加し、その強いリーダーシップと熱烈な演説で知られています。彼は若い頃、犯罪に手を染め、1946年に逮捕され、10年間服役しました。その間、彼はイスラム教に改宗し、出所後は「Nation of Islam」という宗教団体に参加しました。彼はその後、「Nation of Islam」のスポークスマンとして活躍し、多くの支持を集めました。しかし、1964年に「Nation of Islam」の指導者エリヤ・ムハンマドと対立し、組織を離れました。彼はその後、「Muslim Mosque, Inc.」という新しい組織を設立し、イスラム教の普及や黒人の権利運動を続けました。1965年2月21日、ニューヨーク市ハーレム地区のオーデュボン・ボールルームで演説中に暗殺されました。彼は39歳でした。

壮絶な生い立ちと思想に与えた影響

マルコムXは1925年5月19日にネブラスカ州オマハで生まれました。彼の本名はマルコム・リトルで、彼の幼少期は確かに困難なものでした。彼の父親は反体制的なバプテストの牧師で、家庭菜園で家族を養っていましたが、白人至上主義団体「KKK」によって殺害されました彼の母親は祖母が白人に強姦されて生まれたという悲惨な生い立ちを持つ混血の女性でした。父親の死後、母親の精神が崩壊し、マルコムとその兄弟姉妹はそれぞれ別の家に里子に出されました。マルコムは白人家庭に引き取られ、白人の学校に通うことになりました。しかし、彼はそこで「珍しい動物としか扱われなかった」と述べています。彼が将来何になりたいかを尋ねられたとき、彼は弁護士か医者になりたいと答えましたが、教師からは「黒人はどんなに頑張っても偉くなれない。黒人らしい夢を見た方がいい」と言われました。これらの経験は、マルコムXが成長して公民権運動の指導者となるきっかけを作りました。

マルコムXの思想(黒人の暴力を容認)

マルコムXの思想は、主に黒人の権利と公民権、そして人種間の平等と正義を目指しています。彼はネーション・オブ・イスラム(NOI)のスポークスマンとして活動し、黒人と白人の分離を提唱し、非暴力と人種統合を重視するメインストリームの公民権運動を批判しました。彼のこの時期の思想は、黒人の自立と自尊心の強調、そして白人社会に対する強い批判に特徴付けられています。しかし、彼の思想は時間とともに進化しました。彼がメッカへのハッジ(巡礼)を完了した後、彼はスンニ派イスラム教と公民権運動を受け入れ、エル・ハッジ・マリク・エル=シャバーズとして知られるようになりました。この時期、彼の思想はより包括的で普遍的なものになり、人種間の平等と共存を強調するようになりました。彼はまた、黒人の自由と公民権を求めるための自衛の必要性を強調しました。彼は非暴力を否定し、必要な場合には暴力を用いることを容認しました。この思想の背景には、幼少期に父が白人至上主義団体に殺害されたことが影響していると考えられます。彼の思想は、人種差別と暴力を説いたとして物議を醸した一方で、人種間の平等と正義を追求したことでも、アフリカ系アメリカ人やその他の人々に知られています。彼の遺産は今日でも多くの人々に影響を与えています。

マルコムXとキング牧師の違い

マルコムXとマーティン・ルーサー・キング牧師は、アメリカの公民権運動の時代に活躍した二人の重要な指導者です。マルコムXは一時期、融和的なキング牧師を批判し、双方が対立していたとされてきましたが、側近や親族の証言によると、晩年の二人の主張や姿勢は接近していたと言われています。マルコムXは晩年、イスラム教社会主義へ変わり、キング牧師と目指すところは同じだと語ったとされています。しかし、彼らの手段は大きく異なっていました。キング牧師は白人と黒人が協働してより良い社会をつくるべきとして、彼の働きには多くの白人も協力しました。一方、マルコムXの場合は、白人に対する嫌悪感をあらわにしたようなメッセージを発信し続けましたから、白人から嫌われました。彼自身もイスラム教徒に改宗して、当時の米国白人主義に真っ向から立ち向かっていきました。

マルコムXの最後

マルコムXの人生は1965年2月21日(満39歳)にニューヨークで暗殺されるという悲劇的な終わりを迎えました。彼はオーデュボン・ボールルームで演説をしていたとき、3人のネーション・オブ・イスラムのメンバーによって銃撃されました。彼は胸部と体の他の部分に複数回撃たれ、即死しました。暗殺をされた背景は非常に複雑な関係が絡んでいます。彼は「ネーション・オブ・イスラム」(NOI)とその指導者であるイライジャ・ムハンマドに幻滅し、1964年に教団を離脱しました。その後、彼はメッカへの巡礼を完了し、スンニ派イスラム教と公民権運動を受け入れ、エル・ハッジ・マリク・エル=シャバーズとして知られるようになりました。彼はその後、アフリカを横断した短い期間の後、公然とNOIを放棄し、ムスリム・モスク・インク(MMI)とパン・アフリカ主義のアフリカ系アメリカ人統一機構(OAAU)を設立しました。しかし、NOIとの対立は激化し、彼は何度も死の脅迫を受けていました。彼の死後、3人のNOIのメンバーが殺人罪で起訴され、無期懲役の終身刑が言い渡されました。しかし、暗殺がNOIの指導者や他のメンバー、あるいは政府によって考案されたのか、本当の実行犯は逮捕された3人であったのかなど、銃撃後数十年に渡って多くの仮説・推測が流れました。

マルコムXの名言集(1)

名言1

いかなる時もあなたは法律の中に、あなたの法的権利の中に、あなたの道徳的権利の中にいて、正義に従い、そして信じるところのために死ぬ。
しかし、一人では死なないで欲しい。
死のお返しをさせてくれ。
これが平等の意味するところだ。

名言2

教育こそが未来へのパスポートだ。
明日という日は、今日準備をする人たちのものである。

名言3

地球上で最大の権力を持つ組織はメディアだ。
奴らは無実の者に罪を着せ、罪深き者を無実にする力を持つ。
これこそが権力だ。
奴らは大衆の心を操っている。

名言4

黒人を守るため暴力を行使するのが誤りならば、アメリカを守るために外国で戦わせるのも誤りだ。

名言5

信念を持たない人間は、あらゆることに流される。

名言6

自由のために死ぬ覚悟がないのなら、「自由」という文字をお前の辞書から消すがいい。

名言7

今こそ我々は、我々の違いに目をつむるときである。
そして第一に、我々は同じ、共通の問題を持っていると着目することが、我々にとって最良であると認識するときなのだ。

名言8

一冊の本に人生を丸ごと変えてしまう力があることを、みんな理解していない。

名言9

それは、私が思うに「鶏が鳥小屋に帰って眠るように」起こるべくして起こった事件だ。
すでに言及しているが、白人が心の中にもつ無防備の黒人に対する殺意が止まず、さらにその憎悪の拡大が容認され、終には大統領を殺してしまった。

名言10

我々は、公民権の闘争を、より高レベルとなる人権の闘争へと発展させる必要がある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました