相田みつをの名言37選!「人間だもの」で伝えたい言葉

相田みつをの名言ブログのアイキャッチ画像 偉人名言集

相田みつをは、1924年5月20日に生まれ、1991年12月17日に亡くなりました。彼は日本の詩人、書家であり、平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られています。彼の名言には「毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出すきれいな足跡にはきれいな水がたまる」や「トマトにねぇいくら肥料をやったってさメロンにはならねんだなあ」などがあります。このブログでは、相田みつをの名言を集め、彼の言葉が私たちに与える影響について考察していきます。どうぞお楽しみください。

相田みつをの生涯

項目内容
本名相田 光男
雅号貪不安(ドンフアン)
生年月日1924年5月20日
没年月日1991年12月17日
死因脳内出血
出生地栃木県足利市
職業詩人、書家
主な書籍『にんげんだもの』、『おかげさん』、『いのち いちばん大切なもの』、『雨の日には……』
相田みつをの略歴

相田みつをさんは、1924年5月20日に栃木県足利市に生まれ、詩人、書家として活躍しました。彼は平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られ、書の詩人とも称されます。彼は1942年に旧制栃木県足利中学校を卒業し、その後、歌会で曹洞宗高福寺の武井哲志氏に出会い、禅を学びました。1943年には書家を志し、岩沢渓石氏に師事しました。1950年には『栃木県芸術祭書道中央展』に“宿命”を出品し、1954年には『毎日書道展』に7年連続入選しました。同じ年に足利市で初の個展を開催し、1955年には“ろうけつ染め”を学びました1984年に詩集『にんげんだもの』が出版され、広く知られるようになりました。彼は1991年12月17日に脳内出血が原因で急逝し、67歳でこの世を去りました。相田みつをさんの人生は挫折と成功が入り混じったものでした。彼は長い間不遇であり、文学や書の分野で彼の作品が評論されることはあまりありませんでした。しかし、彼の作品は多くの人々の心を癒し、感動させるものであり、今でも広く愛されています。彼が残した作品は、自らの実生活が重ね合わされており、その特徴です。

“相田みつを”がどんな人かわかるエピソード

相田みつをの人生をエピソードと共に振り返っていきましょう。

禅との出会い

相田みつをは、旧制栃木県立足利中学校を卒業した後、歌人の山下陸奥に弟子入りしました。そして、1942年には、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学び始めました。この出会いは彼の人生に大きな影響を与え、その後の彼の作品にもその影響が見られます。彼が禅を学んだことは、彼の作品に深い哲学的な思考をもたらしました。彼の詩は、人間の生きる道や人生の意味を問い、その答えを探求するものでした。彼の作品は、禅の教えを通じて人間の存在や生きる意味を探求するものであり、その中には禅の教えが深く反映されています。

「毎日書道展」の入賞と初の個展

相田みつをは、書家としての技巧を持ちつつ、平易でどこか温かな視点を持った「詩」と「書」を融合させたスタイルで知られています。彼は「毎日書道展」に1954年から7年連続で入選し、その技巧派の書家としての地位を確立しました。毎日書道展は、日本最大の書道展であり、その規模と内容から見ても、書道文化の向上と書道芸術の相互錬磨のための重要な場となっています。昭和23年に全日本書道展として発足し、昭和26年から毎日書道展と改称され、新しい時代の書道展を旗印に、伝統の書から最先端の現代書まで、あらゆる分野を結集する総合展です。この書道展の入選後、彼は1954年に最初の個展を足利市で開催しました。その後も足利市などで毎年個展が開催されるようになりました。これらの個展では、相田さんの独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書いた作品が展示され、多くの人々に感銘を与えました。

60歳にして「にんげんだもの」を出版

相田みつをさんが詩集『にんげんだもの』を執筆したエピソードは、彼の人生観と芸術観が深く反映されています。彼は旧制中学の頃に出会った禅の世界観を書として表現しました。1984年の60歳の時に『にんげんだもの』を出版し、その作品が広く知られるようになりました。『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり、地位を確立しました。この詩集は、相田さんが人間の生きる道や人生の意味を問い、その答えを探求するものでした。ちなみに60歳にミリオンヒットを出した相田みつをさんですが、それまでの生活は決して裕福とは言えず、書家として生計を立てていました。しかし、純粋な書だけでは生計は厳しく、彼はろうけつ染めで風呂敷などを作ったり、近くの商店の包装紙のデザインなどで生活費をなんとか捻出していました。

作品へのこだわり

相田みつをさんは、自身の作品に対して非常に執着していました。彼は一文字を書くために何百枚何千枚と紙を使用したり、印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったと言われています。彼の作品は、自らを見つめ、対話した結果として生まれたもので、その中には彼自身の挫折や思考が反映されています。彼は作品に対して妥協を許さず、自分自身へ語り続けました。その結果、彼の作品は人々に深い感動を与え、多くの人々の心をつかむことができました。また、彼は最期まで仕事への意欲が衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話にあったと言われています。これらのエピソードは、相田さんがどのようにして自身のスタイルを確立し、多くの人々に影響を与えたかを示しています。

相田みつをの名言集(1)

名言1

毎日毎日の足跡が
おのずから人生の答えを出す
きれいな足跡には
きれいな水がたまる

名言2

雨の日には雨の中を
風の日には風の中を

名言3

その人の前に出ると
絶対にうそが言えない
そういう人を持つといい

名言4

私がこの世に生れてきたのは
私でなければできない仕事が
何かひとつこの世にあるからなのだ

名言5

なやみは
つきねんだなあ
生きているんだもの

名言6

やり直しのきかない人生
待った無しの命

名言7

他人のものさし
自分のものさし
それぞれ寸法がちがうんだな

名言8

そのうち
そのうち
べんかいしながら日がくれる

名言9

しあわせはいつも
じぶんのこころがきめる

名言10

負ける人のおかげで
勝てるんだよな

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