オードリー・ヘップバーンは映画界とファッション界のアイコンとして知られており、アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)の「最も偉大な女優50選」で第3位にランクインされ、インターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りしています。彼女の名言には、「どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば、おそろしいことね。」、「Nothing is impossible, the word itself says, I’m possible.(不可能なことなんてない。 そのことば自体が「私はできる(I’m possible)」って言っているもの。)」などがあります。
オードリー・ヘップバーンってどんな人?
項目 | 内容 |
---|---|
生年月日 | 1929年5月4日 |
出身地 | ベルギーのブリュッセル |
職業 | 女優 |
主な作品 | 『ローマの休日』(1953年)、『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『シャレード』(1963年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『暗くなるまで待って』(1967年)など |
受賞歴 | アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、トニー賞、グラミー賞、エミー賞 |
死亡日 | 1993年1月20日 |
オードリー・ヘップバーンは、1929年5月4日にベルギーのブリュッセルで生まれました。彼女は幼少期をベルギーとイギリスで過ごし、オランダにも在住した経験があります。第二次世界大戦中には、ドイツ軍が占領していたオランダのアーネムに住んでいたこともありました。彼女は5歳ごろからバレエを始め、アムステルダムではソニア・ガスケルのもとでバレエを習い、1948年にはマリー・ランバートにバレエを学ぶためにロンドンへ渡り、ウエスト・エンドで舞台に立った経験があります。イギリスで数本の映画に出演した後、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』で主役を演じ、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得しました。その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『シャレード』(1963年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『暗くなるまで待って』(1967年)などの人気作、話題作に出演しています。さらにヘプバーンは死後にグラミー賞とエミー賞も受賞しており、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人となっています。70年代以降ヘプバーンはたまに映画に出演するだけで、後半生の多くの時間を国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げました。ユニセフ親善大使として1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身しています。1992年終わりにはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されました。この大統領自由勲章受勲一カ月後の1993年1月20日に、ヘプバーンはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去しました。
人気の理由
オードリー・ヘップバーンは、20世紀を代表する女優の一人であり、今なお世界中で愛され続けています。時代を越えるアイコンとして死後も世界に影響を与え続けている彼女の人気の秘訣を解説していきます。
永遠のエレガンス
オードリー・ヘップバーンと言えば、まず思い浮かぶのは彼女の象徴的なエレガンスです。『ローマの休日』で見せた無邪気な魅力から、『ティファニーで朝食を』の洗練された都会的イメージまで、彼女のスタイルは多くの女性にとって永遠の憧れです。彼女のファッションセンスは、シンプルでありながらも洗練されたもので、時代を超えて多くの人々に影響を与えています。
人間性と慈善活動
オードリー・ヘップバーンが愛される理由は、彼女の内面的な美しさにもあります。彼女はユニセフの親善大使として、生涯にわたり子供たちのための慈善活動に尽力しました。戦時中の苦しい経験を持つ彼女は、世界中の苦境にある子供たちを深く思いやり、実際に現地を訪れて支援活動を行いました。このような彼女の行動は、多くの人々に彼女の温かい人間性を感じさせ、彼女への尊敬を一層深めることになりました。1992年終わりにはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されました。
オードリー・ヘップバーンの名言集(1)
名言1
どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。
成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。
考えてみれば、おそろしいことね。
名言2
人は、物以上に、回復して、新しくなり、生き返り、再生し、報われることが必要なの。
決して、誰も見捨ててはいけません。
名言3
何としても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しかないという事態です。
名言4
もちろん、わたしたちはすべてを失いました。
家も、持ち物も、お金も。
でも、少しも悲しくはありませんでした。
家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです。
名言5
子どもより大切な存在なんて、あるかしら?
名言6
成功は誕生日みたいなもの。
待ちに待った誕生日がきても、自分はなにも変わらないでしょ。
名言7
これまでの人生で、テクニックに裏打ちされた自信を持ったことは一度もありません。
でも、感性さえ磨いておけば、どんなことでもやってのけられるものです。
名言8
わたしはあまり多くを期待する人間ではないの。
だからかしら、わたしはわたしが知るなかで誰よりも恨みつらみと無縁の人間よ。
名言9
いわゆる天賦の才に恵まれていると思ったことはないわ。
仕事を心から愛して最善を尽くしただけよ。
名言10
死を前にしたとき、みじめな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、いやな出来事や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思うの。
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