バルザックの45選!人間喜劇や借金生活のエピソードも紹介!

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オノレ・ド・バルザック

オノレ・ド・バルザックは、1799年5月20日にフランス共和国のトゥールに生まれ、1850年8月18日にフランス共和国のパリで亡くなりました。彼は、19世紀のフランスを代表する小説家であり、90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆しました。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、トルストイ)の先駆けとなった写実的小説群であり、『レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)の親友でもありました。

彼の名言には、「良し悪しの判断が増えるほど、愛することが減る。」、「過剰な喜びは、どんな悲しみよりも耐えるのが困難である。」、「女はその手袋を変えるように、容易に心を変える可愛らしい動物である。」、「天才とは、やろうと思ったことは断じて実行に移す人間のことである。」などがあります。

バルザックってどんな人?

項目内容
生年月日1799年5月20日
出生地フランス共和国, トゥール
死亡日1850年8月18日
死亡地フランス共和国, パリ
職業小説家
代表作『人間喜劇』

オノレ・ド・バルザックは1799年にフランスのトゥールで生まれました。彼は実業家の長男として生まれ、母親からはまともな教育を受けず、少年時代は寄宿学校で育ちました。父親の仕事でパリに転居した後、ソルボンヌ大学(法科)に入学しました。父親は仕事を継がせようとしましたが、バルザックは作家になることを決意しました。以後、ひとりでパリのアパート(=屋根裏部屋)で過ごし、執筆活動をおこないました。友人たちと出版業を起こしましたが、事業をまわらずに破綻し、多額の借金を背負いました。バルザックは30歳のときに『あら皮』が評判をよび、ヒットしました。さらに、友人「エミール・ド・ジラルダン」と手を組み、ジャーナリズム活動も積極的におこないました。新聞・雑誌に評論・論評をのせて、当時のニュースに意見を述べていきました。1842年、それまで描いた短編・長編をまとめ、総称するかたちで、『人間喜劇』の構想を発表しました。評論・物語をとおして、当時のフランス社会のようすをすべて描くことを決意し、死ぬまで作品を書きつづけました。しかし、51歳で亡くなり、約50編の未完作品を残しました。バルザックの作品は、その生涯を通じて、社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、人間の精神の内部を精密に描き、その双方を鮮烈な形で対応させていくという特性を持っています。その多作・速筆にも関わらずアイデアが尽きることはなく、その才能は天才的とも評されています。彼の作品は、社会におよそ存在しうるあらゆる人物・場面を描くことによってフランス社会史を形成する壮大な試み『人間喜劇』を構想したが、その死によって未完のままです。

バルザックの人生がわかるエピソードまとめ

生涯で100を超える作品を執筆し、最高傑作と言われる「人間喜劇」は現在でも人気の作品です。そんなバルザックの作品にかける思いや、意外な借金生活などを紹介していきます。

作品は100作越え!?

バルザックは趣味や娯楽としての読書が広く一般市民に浸透した時代に、100編以上の作品を執筆しました。その卓越した才能と魅力は、社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、人間の精神の内部を精密に描き、その双方を鮮烈な形で対応させていくというところにあります。バルザックは生涯で100作以上の小説を書き上げた才能、いきいきとしたセリフに垣間見える表現力、作家の権利保護のために奔走し、文芸家協会を立ち上げた行動力を持っていました。これらの多才ぶりと、スマートさとは無縁な生き様のギャップも、バルザックの魅力の一つと言えるでしょう。

バルザック最高傑作「人間喜劇」

バルザックの「人間喜劇」は、19世紀のフランス社会を描いた一連の小説群で、その人気の理由はいくつかあります。まず、「人間喜劇」はその時代の社会全体を描き出す壮大な視野を持っています。バルザックは、あらゆる階層、あらゆる人間を描き、19世紀のフランス社会を壮大に映し出しています。これは、当時のフランスがナポレオンの皇帝即位や王政復古など、フランスの歴史が大きく動いた時代であり、商工業で資産を蓄えたブルジョワが台頭し、それまでは貴族の教養や娯楽だった読書が広く一般市民に浸透した時代でもありました。また、「人間喜劇」の特徴的な手法として、「人物再登場法」があります。これは、「Aの作品の脇役がBの作品の主人公になる」といった形で、作品間で登場人物が再登場する手法です。これにより、作品群全体が有機的につながり、一つの大きな物語として読むことができます。この手法は、読者に深い没入感を与え、物語の世界に引き込む力があります。人間喜劇は89作品、登場人物は2000人以上にもおよび、その果てしないスケールは現在も人々を魅了しています。ちなみに、この作品数でも完結ではなく、50作品を残してバルザックは無くなりました。

借金まみれな作家人生

次はここまで才能に溢れたバルザックの借金に関するエピソードです。バルザックは執筆活動を始めてからもさまざまな事業で失敗し、度々借金を抱えることになりました。彼の借金は莫大で、それを肩代わりしてくれたのは彼の母親や愛人でした。彼の母親は彼の借金を肩代わりし、彼がさまざまな事業で失敗しても支え続けました。また、バルザックは派手好きで上流階級への憧れが高じて、自身の名前を貴族風に変えてしまったというエピソードもあります。これらのエピソードは、バルザックが「常識を超えた人」であったことがよくわかりますね。ちなみに彼の借金は最終的に彼自身によって清算されることはありませんでした。晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人、ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産がその損失補填にあてられました。

バルザックの名言集(1)

名言1

あまりうちとけ過ぎる人間は尊敬を失います。
気やすい人間は馬鹿にされます。
むやみに熱意を見せる人間はいい食いものにされます。

名言2

もし夫が、愛されることに幸福を見出そうとするならば、本気で愛さないといけない。
本当の情熱なら、向かうところ敵なしだと知るがいい。

名言3

良し悪しの判断が増えるほど、愛することが減る。

名言4

あらゆる知恵の中で、結婚についての知識が一番遅れている。

名言5

天才とは、やろうと思ったことは断じて実行に移す人間のことである。

名言6

女はその手袋を変えるように、容易に心を変える可愛らしい動物である。

名言7

慎み深さは肉体の良心である。

名言8

金持ちに成っても、金持ちに生まれついても、それで優雅な生活が送れるわけではない。
そのセンスが必要なのだ。

名言9

われわれは幸福も不幸も大げさに考えすぎている。
自分で考えているほど幸福でもないし、かといって決して不幸でもない。

名言10

過剰な喜びは、どんな悲しみよりも耐えるのが困難である。

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