【哲学者】ジョン・ロックの名言26選!自由経済の父の言葉

ジョン・ロック 名言ブログのキャッチコピー ジョン・ロック

ジョン・ロック

イギリスの哲学者であり、「自由主義の父」とも称されるジョン・ロックは、人間の自由と知識について深く掘り下げた思想家であり、その業績は今日でも多くの人々に影響を与えています。彼の名言には、「世界に対する唯一の防御は、それについての十分な知識だ。」、「言われるままに信じるだけの知識は、ただの切れ端に過ぎない。切れ端としては立派でも、それを集める人の知識の蓄えを少しも増しはしない。」などがあります。

ジョン・ロックって何をした?

カテゴリ詳細
本名ジョン・ロック
生年月日1632年8月29日
出生地イギリス、サマセット州
教育オックスフォード大学クライスト・チャーチ
職歴哲学者、医師
主な著作『人間悟性論』『統治二論』
その他の業績「イギリス経験論の父」、「自由主義の父」
死去1704年10月28日
ジョン・ロックの詳細

ジョン・ロックは、1632年8月29日にイギリスのサマセット州リントンで生まれました。彼の父はピューリタン革命期の議会軍の騎兵隊長でした。14歳のときにウェストミンスター校に入学し、20歳になるとオックスフォード大学クライスト・チャーチに進学し、哲学と医学を修めました。彼は「政治哲学者」とも呼ばれ、アメリカの独立宣言やフランス革命に多大な影響を与えました。彼の主な業績としては、「イギリス経験論の父」と呼ばれ、主著『人間悟性論』(『人間知性論』)において経験論的認識論を体系化したことが挙げられます。また、「自由主義の父」とも呼ばれ、政治哲学者としての側面も非常に有名であり、『統治二論』などにおける彼の政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、その中で示された社会契約や抵抗権についての考えはアメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えました。彼は1704年10月28日に亡くなりましたが、その業績は今日でも多くの人々に影響を与えています。

ジョン・ロックの思想とその影響

ジョン・ロックが生きた17世紀のイギリスは、政治的、社会的に大きな変動の時期でした。この時代は、絶対王政と議会政治の間の権力闘争、宗教的対立、市民革命(イングランド内戦)、名誉革命といった一連の出来事が特徴的です。ジョン・ロックは社会契約論を唱えたことで、名誉革命やフランス人権宣言などに大きな影響を与えました。

社会契約論

社会契約論は、人々がなぜ政府や社会のルールに従うのか、また政府はどのようにして人々の同意と権利を基に成り立つのかを説明する政治哲学の理論です。この理論では、元々全ての人が自由で平等な状態にあったと考えられますが、この自然状態は不安定であり、互いの権利を守るためには、ある程度の自由を放棄し、相互に利益をもたらす約束事に同意する必要があるとされています。この約束事、つまり社会契約を通じて、人々は自分たちの生命、自由、そして財産を守るための政府を設立します。政府は人民の同意に基づき権力を持ち、公共の利益のためにその権力を使うことが期待されます。しかし、政府が人々の権利を侵害したり、社会契約に違反したりした場合、人々にはその政府を変更し、新しい契約を結ぶ権利があります。社会契約論は、ジョン・ロック、トマス・ホッブズ、ジャン=ジャック・ルソーなど、複数の思想家によって異なる観点から提唱されていますが、共通するのは政府の権力が人民の権利と自由を保護するために存在し、その正当性は人民の同意に依存しているという点です。この理論は、今日の民主主義や人権、法の支配の概念に大きな影響を与えており、政府と市民の関係、個人の自由と社会的責任のバランスについて考える上で重要な基盤となっています。

影響

ロックの社会契約論は、西洋の自由主義思想と民主主義の発展に大きな影響を与えました。特に、彼の自然権の概念と政府の権力が人民の同意に基づくべきだという理論は、後の啓蒙思想家たちによって広く受け入れられ、アメリカ独立宣言やフランス革命における人権宣言の基礎となりました。ロックの思想は、個人の自由と権利を尊重し、政府の役割を制限することの重要性を強調しています。これは、現代の民主主義社会における政府の形態や法の支配、基本的人権の保護などの原則に反映されています。

名誉革命

名誉革命は1688年にイギリスで起きた政治的変革で、カトリック教徒のジェームズ2世が王位を退き、プロテスタントの娘メアリーとその夫ウィリアム3世が共同で王位に就く出来事を指します。この無血での政権交代は、宗教的対立と議会との権力闘争の中で発生しました。ジェームズ2世はカトリックを公然と支持し、プロテスタント主流の国で不安と反発を引き起こしていました。ウィリアム3世の侵攻を受けてジェームズ2世が亡命したことで、王位はウィリアムとメアリーへと移行しました。名誉革命の結果、1689年に権利の章典が制定され、イギリスの議会制民主主義と憲法君主制の基礎が固められました。この文書は議会の定期的な招集、言論の自由、選挙の実施など、政府の権力を制限する原則を定め、カトリック教徒の王位継承を禁じるなど、宗教的な寛容の範囲を設定しました。名誉革命は、後のアメリカ独立戦争やフランス革命に影響を与えるなど、西洋政治思想に深い影響を及ぼし、現代のイギリス政治システムの発展に重要な役割を果たしました。この革命によって、憲法に基づく制限された君主権と、議会主権の原則が確立されたのです。

ジョン・ロックの名言集(1)

名言1

世界に対する唯一の防御は、それについての十分な知識だ。

名言2

言われるままに信じるだけの知識は、ただの切れ端に過ぎない。
切れ端としては立派でも、それを集める人の知識の蓄えを少しも増しはしない。

名言3

法の終わるところ、専制がはじまる。

名言4

新しい意見は常に疑われ、たいてい反対される。
まだ一般的ではないという理由だけで。

名言5

いかなる人間の知識も、その人の経験を超えるものではない。

名言6

何故に人間が社交するかといえば、自己の財産を保持したいからである。

名言7

教師にとっては、教えるよりも命令する方が簡単だ。

名言8

ファッションの大半は、富の見せびらかしにすぎない。

名言9

収入は靴のようなものである。
小さすぎればわれわれを締めつけ、わずらわす。
大きすぎればつまずきや踏み外しの原因となるのだ。

名言10

あなたを心配させるものが、あなたを支配する。

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