トルストイの名言76選!「人生論」や「戦争と平和」の作者が語る名言

トルストイの名言ブログのアイキャッチ画像 トルストイ
トルストイの肖像画

誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。」とってもぐさっとくるような名言ですよね笑

この名言の発信者であるレフ・トルストイの人生は、まるで壮大な小説のように波乱に満ちていました。若き日のトルストイは、カザン大学での失敗と地主としての失望に直面し、放蕩と自己探求の日々を送りましただが、そんなどん底から、軍隊での体験が彼の文学的才能を開花させたのです。戦争の最前線で書かれた『幼年時代』が文学界の扉を開き、この成功を足掛かりにトルストイは文学への情熱を一層燃やしていきます。彼の作品は、戦争の厳しさと人間の深い感情を描き出し、彼の文学的な声を確立しました。帰郷後の教育者としての努力は社会の抵抗に遭いましたが、これもまた彼の作品に新たな深みを加えることになります。そして40代に入って、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった文学史に残る傑作を生み出し、文豪としての地位を不動のものにしました。

トルストイとは?エピソードと共に紹介

情報詳細
本名レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ
生年月日1828年9月9日
出生地ヤスナヤ・ポリャナ、ロシア帝国
死亡日1910年11月20日
死亡地アスタポヴォ、ロシア帝国
死因肺炎
職業小説家、哲学者
国籍ロシア人
代表作戦争と平和 (1869)、アンナ・カレーニナ (1877)、イワン・イリイチの死 (1886)、復活 (1899)
トルストイの略歴

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは、1828年にロシアで生まれた著名な作家で、戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの名作で知られます。豊かな家庭に生まれたものの、若い頃は多くの挫折を経験しました。カザン大学での勉強に失敗し、地主としての試みも成功しなかった彼は、軍での経験を通じて文学の才能を開花させました。教育者としても活動し、自らの領地に学校を設立しましたが、革新的な方法は周囲の反発を招き、学校は閉鎖されました。40代に入ると、彼の文学的地位は『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』の成功により確固たるものとなります。しかし、この時期から深刻なうつ病に苦しむようになり、後に文豪としての地位を捨て、宗教思想や哲学を広める活動に専念しました。彼の独自の宗教観や政府に対する批判は多くの反響を呼び、『イワン・イリイチの死』や『復活』など、彼の考えが色濃く反映された作品を残しました。家庭生活では12人の子供に恵まれながらも、晩年は家族との関係も困難になりました。1910年に82歳で亡くなるまで、彼は文学と思想の世界で大きな足跡を残しました。

大学の中退と経営者(地主)としての失敗

レフ・トルストイは1844年にカザン大学東洋学科に入学しましたが、成績が振るわず、翌年には法学部に転部しました。しかし、その後も学業に苦労し、最終的には1847年にカザン大学を中退しました。彼はその後、広大なヤースナヤ・ポリャーナを相続し、農地経営に乗り出しましたが、これにも挫折しました。1859年、27歳の時に、コーカサス戦争から戻り、領地に学校を設立し、農民の指定の教育にあたりました。彼の教育方針は強制を排除し、自主性を重んじるものでした。しかし、1862年には、トルストイの活動を危険視した官憲による妨害で、トルストイの学校は閉鎖されてしまいました。それでも、トルストイの教育への情熱は生涯変わりませんでした。彼は教育を通じて、人々に自由と理解、そして協調を教えました。彼の教育理念は、今日でも多くの人々に影響を与えています。彼の生涯は、困難を乗り越えて自身の信念を追求するという、一貫したテーマによって特徴付けられています。

従軍経験により文学的才能が開花

レフ・トルストイは、若き日にクリミア戦争(1853-1856)の悲惨さを目の当たりにしました。この経験は彼の思想と文学に深い影響を及ぼし、彼の作品全体に戦争のリアリティと倫理的な葛藤をもたらす要因となりました。彼は1851年にコーカサスの砲兵旅団に志願して編入し、コーカサス戦争に参加しました。この時の体験は後年『コサック』や『ハジ・ムラート』や『コーカサスの虜』などに反映されました。1853年のクリミア戦争では将校として従軍し、セヴァストポリで激戦の中に身を置きました。セヴァストポリ包囲戦での体験は『セヴァストポリ物語』に結実し、のちに非暴力主義を展開する素地ともなりました。彼の軍事経験は、彼の文学作品における戦争の描写に大きな影響を与えました。彼の作品は、戦争のリアリティと倫理的な葛藤を描き出し、その経験が人間の心と社会にどのように深い傷を残すかを示しています。

宗教家としての活動

晩年のトルストイは文豪としての地位を捨て、独自の宗教思想や哲学を広める活動を始めました。彼は権力とは程遠い民衆の質素で素朴な生活に惹かれ、原始キリスト教のような独自の宗教観、倫理観を布教する活動を行いました。彼の活動は「トルストイ運動」と呼ばれ、帝政末期のロシアで起こった宗教的かつ倫理的な社会運動でした。その基本的な観念はトルストイの作品『懺悔』、『私は何を信じるか?』、『クロイツェル・ソナタ』などに顕著に表れています。トルストイ運動家たちは自らをキリスト教徒であるとするが、一般的に制度上の教会には所属しない。また彼らはキリストの奇蹟や神性よりもその教えを重視をしました。しかし、彼の活動は政府や教会からの弾圧を受け、彼の設立した学校は閉鎖を余儀なくされました。また、彼の宗教思想はロシア正教会から破門される原因ともなりました。それでも彼は自分の信念を貫き、その思想は後世に大きな影響を与えました。今日においても、トルストイ運動は西欧、北米、日本、インド、ブルガリアなどの国々で存続しています。中でもマハトマ・ガンディーなどはトルストイ運動家の代表であったと言われています。

プーチンとの関係

「戦争と平和」など、反戦的なイメージの強い彼ですが、インターネット上ではプーチンとの関係が囁かれている記事も見かけます。そもそもこの二人は直接的な関係はありません。しかし、プーチン大統領の愛読書が「戦争と平和」であることや、昨今のウクライナ戦争の状況から彼らの関係を仄めかすような記事が出ているようですね。トルストイはその文学作品を通じて、ロシア社会の複雑さと人間性を描き出しました。一方で、プーチンはその政策とリーダーシップを通じて、ロシアの国際的な地位を形成し続けています。それぞれの時代と役割が異なるため、トルストイとプーチンの間には直接的な関係はありませんが、彼らはロシアの歴史と文化において重要な人物であると言えます。

謎の家出

彼の家出後、彼はそのまま亡くなりました。この出来事は、トルストイの生涯を通じて彼の思想と行動の間の緊張を象徴するものであり、彼の人生と作品に深い影響を与えました。彼の家出と死は、彼の思想と信念、そして彼が直面した社会的な矛盾と葛藤を強く反映しています。レフ・トルストイは、1910年10月28日に家出をしました。彼の家出の原因は複雑で、自己の信条とツァーリ専制下の現実との乖離、自己の名声を厭いそれから免れてトルストイ主義を全うしたいという念願などが挙げられます。しかし、家出の直接的な原因は、妻ソフィアとの間の軋轢でした。トルストイは妻との軋轢を自分の試練と受け止め、「ソフィアを愛する」よう努めましたが、一晩中彼女と争っている夢を見ることになりました。彼女を哀れと思うが、耐えがたい汚らわしさをぬぐい去ることができず、ついに家出を決行するのであった。

代表作品や思想、影響について

ロシア文学の巨星、レフ・トルストイ。彼の作品は、人間の心の奥深くを描き出し、読者をその世界に引き込む力を持っています。彼の生涯を通じて書かれた多くの作品は、今日でも世界中の人々に愛され、読み継がれています。彼の思想やその作品の影響についてまとめました。

思想やその影響力

彼の思想は、教会の権威を否定し、民衆の素朴な信仰に学び、愛と非暴力を説き、福音書のキリストの教えを実践することに生きる意義を見いだしたとされています。彼はまた、事物の関係性を認識すること、個我を脱し他者とつながること、必然を理解することは、世界を結びつける愛の鎖に自分を結びつけることであり、反対にその鎖を断ち切るということは、愛を失い個我の苦しみの世界に堕ちていくということだと考えていましたトルストイの思想は、彼の作品を通じて広く伝えられ、特に後期の彼の作品では、その思想が色濃く反映されています。彼の思想は、個人の内面的な成長と社会の改革を目指すものであり、その影響は今日まで続いています。彼の思想は、非暴力主義や社会改革、そして人間の精神的な成長といったテーマを探求することで知られています。彼の思想は、彼自身の生涯と作品を通じて広く伝えられてきました。

「戦争と平和」とその影響

戦争と平和

『戦争と平和』はレフ・トルストイが1865年から1869年にかけて発表した長編小説で、ナポレオン戦争時代のロシア貴族の生活を描いています。物語はピエール・ベズーホフとナターシャ・ロストフの恋愛を中心に展開し、彼らの成長と新時代への目覚めを描いています。この作品は、戦争が個人、家族、社会に与える壊滅的な影響を明らかにし、戦争の虚無性と非生産性を強調しています。また、戦争は多くの人の命を奪うだけではなく、貧困をもたらし、不平等を推し進め、環境を破壊するとも述べています。『戦争と平和』はトルストイが50歳になる前年の1869年に完成しました。この作品は、フランスの皇帝ナポレオンとロシア帝国との間の戦争(ナポレオン戦争)を背景にしており、この時代はロシアだけでなくヨーロッパ全体に大きな影響を与えた歴史的な転換点でした。

「人生論」とその影響

人生論

「人生論」は、彼の生と生命に対する深い考察を詳細に説明したもので、彼の思想体系を形成する基礎となっています。彼は、「欲望充足の動物的生は格闘であり、やがて死で断ち切られる不幸である。人のために生きる真の生は喜びであり、無限の幸福である」と主張しました。また、「愛は真実の生命に満ちあふれた一つの活動である」「死んだ人人の生命はこの世から消えてしまうものではない」とも述べています。「人生論」は多くの人々に影響を与え、特にロシアの無政府主義の展開に大きな影響を与えました。トルストイが「人生論」を書いた背景には、彼の人生経験が大きく関わっています。彼は非暴力主義者としても知られています。1870年代から彼は徐々に精神的な危機が進行し、「アンナ・カレーニナ」を書き終えたのちの1878年頃から人生の無意味さに苦しみ、自殺を考えるようにさえなりました。このような背景から、「人生論」は彼の内面的、哲学的な考察として書かれました。

「イワンのばか」

イワンのばか

「イワンのばか」はロシアの民話に登場するキャラクターで、トルストイの作品でよく知られています。彼は純朴で愚直な男性で、最後には幸運を手に入れることが多いです。物語は、軍人のセミョーン、たいこ腹のタラース、ばかのイワンと、彼らの妹で口のきけないマラーニャの4兄弟がいたところから始まります。兄たちは都会から帰ってきて財産を分けてほしいと父親に頼みます。父親はイワンにそのことを伝えると、イワンは「どうぞ、みんな二人に分けてお上げなさい」と言います。その後、悪魔が登場し、3人の兄弟にちょっかいを出します。しかし、イワンだけは、いくら悪魔が痛めても屈服せず、小悪魔たちを捕まえます。物語はさらに進行し、最終的にイワンは王となり、国民の先頭に立って畑仕事をします。この物語から、「楽をして手に入れられるものはないこと」や「自分の欲しいものは人に頼ったりせずに、自分で働いて手に入れること」などの教訓を得ることができます。

トルストイの名言集(1)

名言1

強い人々は、いつも気取らない。

名言2

この世における使命をまっとうせんがために、我々の仕事を明日に繰り延べることなく、あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない。

名言3

流れ進むのはわれわれであって、時ではない。

名言4

敵はいるであろう。
しかし、彼らのために苦しまないようにしなければならない。
敵がいることが「苦痛でない」だけでなく、むしろ「喜びである」ように行動しなければならない。

名言5

謙虚な人は誰からも好かれる。
それなのにどうして謙虚な人になろうとしないのだろうか。

名言6

人間は、すべての可能性を自分の内に備えている。

名言7

金のないのは悲しいことだ。
だが、あり余っているのはその二倍も悲しいことだ。

名言8

孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。

名言9

わたしたちは踏みなれた生活の軌道から放りだされると、もうだめだ、と思います。
が、実際はそこに、ようやく新しいものが始まるのです。
生命のある間は幸福があります。

名言10

過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ。

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