
「誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。」とってもぐさっとくるような名言ですよね笑
この名言の発信者であるレフ・トルストイの人生は、まるで壮大な小説のように波乱に満ちていました。若き日のトルストイは、カザン大学での失敗と地主としての失望に直面し、放蕩と自己探求の日々を送りました。だが、そんなどん底から、軍隊での体験が彼の文学的才能を開花させたのです。戦争の最前線で書かれた『幼年時代』が文学界の扉を開き、この成功を足掛かりにトルストイは文学への情熱を一層燃やしていきます。彼の作品は、戦争の厳しさと人間の深い感情を描き出し、彼の文学的な声を確立しました。帰郷後の教育者としての努力は社会の抵抗に遭いましたが、これもまた彼の作品に新たな深みを加えることになります。そして40代に入って、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった文学史に残る傑作を生み出し、文豪としての地位を不動のものにしました。
トルストイの生涯は挫折からの立ち上がり、内面と外界との格闘、そして文学を通じての真実への永遠の探求という、まさに「復活」の物語でを名言を通して見ていきましょう!
トルストイってどんな人?
情報 | 詳細 |
---|---|
本名 | レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ |
生年月日 | 1828年9月9日 |
出生地 | ヤスナヤ・ポリャナ、ロシア帝国 |
死亡日 | 1910年11月20日 |
死亡地 | アスタポヴォ、ロシア帝国 |
死因 | 肺炎 |
職業 | 小説家、哲学者 |
国籍 | ロシア人 |
代表作 | 戦争と平和 (1869)、アンナ・カレーニナ (1877)、イワン・イリイチの死 (1886)、復活 (1899) |
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは、1828年にロシアで生まれた著名な作家で、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの名作で知られます。豊かな家庭に生まれたものの、若い頃は多くの挫折を経験しました。カザン大学での勉強に失敗し、地主としての試みも成功しなかった彼は、軍での経験を通じて文学の才能を開花させました。
教育者としても活動し、自らの領地に学校を設立しましたが、革新的な方法は周囲の反発を招き、学校は閉鎖されました。40代に入ると、彼の文学的地位は『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』の成功により確固たるものとなります。しかし、この時期から深刻なうつ病に苦しむようになり、後に文豪としての地位を捨て、宗教思想や哲学を広める活動に専念しました。彼の独自の宗教観や政府に対する批判は多くの反響を呼び、『イワン・イリイチの死』や『復活』など、彼の考えが色濃く反映された作品を残しました。家庭生活では12人の子供に恵まれながらも、晩年は家族との関係も困難になりました。1910年に82歳で亡くなるまで、彼は文学と思想の世界で大きな足跡を残しました。
トルストイとプーチンの関係
「戦争と平和」など、反戦的なイメージの強い彼ですが、インターネット上ではプーチンとの関係が囁かれている記事も見かけます。そもそもこの二人は直接的な関係はありません。
しかし、プーチン大統領の愛読書が「戦争と平和」であることや、昨今のウクライナ戦争の状況から彼らの関係を仄めかすような記事が出ているようですね。トルストイはその文学作品を通じて、ロシア社会の複雑さと人間性を描き出しました。一方で、プーチンはその政策とリーダーシップを通じて、ロシアの国際的な地位を形成し続けています。それぞれの時代と役割が異なるため、トルストイとプーチンの間には直接的な関係はありませんが、彼らはロシアの歴史と文化において重要な人物であると言えます。
トルストイの思想
彼の思想は、教会の権威を否定し、民衆の素朴な信仰に学び、愛と非暴力を説き、福音書のキリストの教えを実践することに生きる意義を見いだしたとされています。彼はまた、事物の関係性を認識すること、個我を脱し他者とつながること、必然を理解することは、世界を結びつける愛の鎖に自分を結びつけることであり、反対にその鎖を断ち切るということは、愛を失い個我の苦しみの世界に堕ちていくということだと考えていました。
トルストイの思想は、彼の作品を通じて広く伝えられ、特に後期の彼の作品では、その思想が色濃く反映されています。彼の思想は、個人の内面的な成長と社会の改革を目指すものであり、その影響は今日まで続いています。彼の思想は、非暴力主義や社会改革、そして人間の精神的な成長といったテーマを探求することで知られています。彼の思想は、彼自身の生涯と作品を通じて広く伝えられてきました。
トルストイ謎の家出
彼の家出後、彼はそのまま亡くなりました。この出来事は、トルストイの生涯を通じて彼の思想と行動の間の緊張を象徴するものであり、彼の人生と作品に深い影響を与えました。彼の家出と死は、彼の思想と信念、そして彼が直面した社会的な矛盾と葛藤を強く反映しています。
レフ・トルストイは、1910年10月28日に家出をしました。彼の家出の原因は複雑で、自己の信条とツァーリ専制下の現実との乖離、自己の名声を厭いそれから免れてトルストイ主義を全うしたいという念願などが挙げられます。しかし、家出の直接的な原因は、妻ソフィアとの間の軋轢でした。トルストイは妻との軋轢を自分の試練と受け止め、「ソフィアを愛する」よう努めましたが、一晩中彼女と争っている夢を見ることになりました。彼女を哀れと思うが、耐えがたい汚らわしさをぬぐい去ることができず、ついに家出を決行するのであった。
トルストイの名言集(1)
名言1
強い人々は、いつも気取らない。
名言2
この世における使命をまっとうせんがために、我々の仕事を明日に繰り延べることなく、あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない。
名言3
流れ進むのはわれわれであって、時ではない。
名言4
敵はいるであろう。
しかし、彼らのために苦しまないようにしなければならない。
敵がいることが「苦痛でない」だけでなく、むしろ「喜びである」ように行動しなければならない。
名言5
謙虚な人は誰からも好かれる。
それなのにどうして謙虚な人になろうとしないのだろうか。
名言6
人間は、すべての可能性を自分の内に備えている。
名言7
金のないのは悲しいことだ。
だが、あり余っているのはその二倍も悲しいことだ。
名言8
孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。
名言9
わたしたちは踏みなれた生活の軌道から放りだされると、もうだめだ、と思います。
が、実際はそこに、ようやく新しいものが始まるのです。
生命のある間は幸福があります。
名言10
過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ。
コメント