勝つことより大切なものがある、そんな哲学をイビチャ・オシムは常に言葉にしてきました。ユーモアと皮肉をまじえながらも、本質だけは決してぶらさなかったその名言は、今も私たちの心に響き続けています。
「ライオンに襲われたウサギが逃げ出す時に肉離れしますか? 準備が足りないのです。」
オシム 名言 うさぎ
イビチャ・オシムってどんな人?
項目 | 内容 |
氏名 | イビチャ・オシム(Ivica Osim) |
生年月日 | 1941年5月6日 |
没年月日 | 2022年5月1日 |
出身地 | サラエボ(旧ユーゴスラビア、現ボスニア・ヘルツェゴビナ) |
国籍 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
選手時代ポジション | ミッドフィールダー |
主な所属クラブ(選手) | ジェリェズニチャル(ユーゴスラビア)、ストラスブール(フランス) |
指導歴(主なクラブ) | ジェリェズニチャル、パルチザン、ストルム・グラーツ、ジェフユナイテッド市原・千葉 |
代表監督歴 | ユーゴスラビア代表(1986-1992)、日本代表(2006-2007) |
日本代表監督就任時期 | 2006年7月(〜2007年11月) |
退任理由 | 脳梗塞による健康上の問題 |
死没地 | オーストリア・グラーツ |
代表的な特徴 | 知性ある戦術眼、人間性重視のマネジメント、名言の多さ |
日本での愛称 | 「オシム監督」「オシムさん」 |
イビチャ・オシム(Ivica Osim)は1941年5月6日、旧ユーゴスラビアのサラエボ(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)に生まれました。選手時代は知性とテクニックを備えたミッドフィールダーとして知られ、ユーゴスラビア代表にも選ばれました。クラブではサラエボのクラブ「ジェリェズニチャル」や、フランスのストラスブールなどで活躍しました。引退後は指導者の道へ進み、特にサラエボのジェリェズニチャルでは哲学的かつ戦術的な手腕で評価され、ユーゴスラビア代表の監督も務めました。1992年、ユーゴスラビア内戦の影響で、政治的な立場から代表監督を辞任。その後オーストリア、ギリシャ、日本などで監督を歴任しました。日本では2003年にJリーグのジェフユナイテッド市原(のち千葉)の監督に就任し、戦術的かつ人間味あふれる指導でクラブを変革。2006年には日本代表監督に就任し、日本サッカーに大きな影響を与えましたが、2007年に脳梗塞で倒れ、退任。その後も「サッカー哲学者」として多くの名言や提言を残しました。2022年5月1日、オーストリア・グラーツの自宅で逝去。享年80歳。彼の残した言葉と思想は、今も多くの人々の胸に生き続けています。
名言「肉離れするウサギはいない」
「ライオンに襲われたウサギが逃げ出す時に肉離れしますか? 準備が足りないのです。」
オシム 名言 うさぎ
イビチャ・オシム監督が日本代表の監督時代(2006〜2007年)に、ある試合後の記者会見で語った言葉です。この発言が出たのは、日本代表の選手が試合中に肉離れを起こしたことに対する記者からの質問に対してでした。記者が「なぜ肉離れが起きたのか」「コンディション調整に問題があったのか」と問うと、オシムはこの印象的な言葉で答えたのです。今ではコンプラ意識の高さから方々から叩かれそうな言葉ですね笑
ただ、この言葉の要点は、「極限の状況で動けないのは、準備の段階に問題がある」という厳しくも本質を突いた指摘です。たとえば、自然界のウサギは常に死と隣り合わせです。ライオンに襲われた瞬間、「絶対に逃げなければ死ぬ」という状況のなかで、肉離れなんて起こしません。それだけ体の状態がいつも整っており、心も極限の集中状態にある。つまりオシムは、「サッカー選手も同じように、常に試合に向けて身体も心も準備されているべきだ」ということを、強烈なたとえを使って示したのです。
イビチャ・オシムの名言集(1)
名言1
自分が自分を信じてなかったら、誰が自分を信じるんだ?
名言2
大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、今日一日を大切にすること。
名言3
勝つことも負けることもある。いつも勝たないといけない危機感の中では、子どもたちがサッカーをしなくなる。
名言4
目指しているのはトータルフットボールだ。しかし、それは永遠に実現出来ないが。
名言5
守備的な選手はいるのか?水を運ぶ選手も必要だ。
名言6
敗北は最良の教師である。
名言7
リスクを負わない勝利はない。
名言8
休みから学ぶものはない。
名言9
歴史、戦争、原爆の上に立って考えるべき。負けたことから最も教訓を学んでいる国は日本だ。
名言10
古い井戸には水が少し残っているのに、完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?
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